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一人だけでも集合無意識

感覚について、快感と不快は、常に相反する関係性として裏付けられるので、楽あれば苦ありの様な相関関係が必ずある。

その上で感覚は人間の感覚細胞の集まりがあって、それらが導き出した集合意識体の解答を瞬時に出しているに過ぎない。

つまり、どう感じたかは、一つだけの細胞が伝えたのではなく、まとまった感覚細胞の提出した総合的な解答を感覚として感じていると気付くべき部分である。

即ち、一対一という形式を脳細胞が後付けで解答として一つにまとめていると言えるのである。

自分という集合体が既に一人ではないと気付くべきところである。

「考えがまとまり難い」というのは、ある意味に於いては正しくて、解答の提出とは十分なジャッジメントが効いている状態であると言えるのである。

ここでいう「自分が一人ではない」というのは、人間が一人だけでは構成されていない大前提がある意味なのである。

そして、細胞一つ一つに御霊(みたま)があるという意味からしても、人間はたった一人に見えても細胞の集合体なので、一つにまとまっているだけでもこれは常に政(まつりごと)なのである。

ここまでが夢から覚めてすぐに書き込んだメモの内容(修正あり)だが、自分という人間が一人だけだと思うのは仕方ないとは思うが、実際には各器官の細胞の集合体で且つ、各器官の集合体としての団体が人間としての自分なので、既に多くの御霊の政(まつりごと)を経た後の総論を自分の意見として述べていると言える。

仮にある細胞一つだけを観てもその中に遺伝子🧬が含まれているそのDNAの螺旋の中に過去の先祖霊の記憶が全て含まれている。

どの細胞を観ても自分であることは変わらないし、その細胞一つ一つがクローンの様に同じ働きをすることすらできるのだが、細胞一つ一つの働きとしては人間の身体としては全く別々な働きをしていることに注目する必要がある。

これは人間一人が社会に於いて全く別な働きをしていることに酷似した法則である。

人間たった一人でも集合体なのに、細胞一つだけでも集合体としての機能を持つ宇宙とすら言える。

その人間もまた集団行動をして会社組織や団体行動をして社会を構成している。

この集合体のズーム拡大比率によって全く違った見え方の自分という存在を捉え直すことができるのである。

自分をたった一人だと思っていることの無頓着さは、実際には幸せなことかもしれないが、その意識が欠如していることによって、世界の中での自分が全く見えていないことになるのである。

ひいては自分という集合体を単なる一個人だけで編み出した意識であると買い被ってさえいる。実際には集合体としての自分が導き出した答えを提出しているのである。

科学はその辺りを見つめようとして私達を導こうとしているのでは決してないと言わなくてはならない。

「一人だけで判断するな」という言い方があるが、全員で出した答えと言っても良いくらい大人数で自分の答えを導き出していると言っても全然間違いではない。

この視点が理解されない限りは、この自分という人間宇宙論も自分だけの話の様に扱われるのかもしれないが、この自分という集合体が既に全人類に匹敵する集合無意識の出した答えとすら言えるのである。


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