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映画は映画館で観たい。

なんで?って聞かれちゃうと、それに明確な答えを導きだすことは難しいんだけど、やっぱり映画は映画館で観たいでしょ、と思う。

今年も東京国際映画祭が幕を開け、この10日間は仕事終わりに日比谷の街をぶらつくのが楽しい。
学生の頃とは違い時間の制約も厳しく、連日浴びるように映画を観るという体験はできないが、数多ある作品の中から足を運べる上映回を選んで、蛍光灯に照らされた無機質なオフィスから一転、人々が集まる薄暗いシアターに身を委ねると、底知れぬ多幸感を味わうことができる。

昨日はチャップリンの傑作『街の灯』を鑑賞してきた。
本作はわたしの大のお気に入りである。子どもの頃、僕は本気で映画が好きかもしれないと母親に伝えたとき、それならチャップリンくらい観ておかないとね、と言われ、彼の作品を近所のTSUTAYAで大量にレンタルした記憶がある。

その中で心奪われたのが『街の灯』だ。
切なくて、儚くて、でもやっぱりコメディでしかなくて。
無声映画ゆえ台詞のひとつもないのだが、最新のCG映像や4K映像より遥かにリアルで、生々しく、温かみを感じる、まさに度肝を抜かれた映画体験と言って良いだろう。最後の瞳は、何度観ても圧巻である。

今年の映画祭では「黒澤明の愛した映画」という特集上映で、本作『街の灯』のリバイバルが行われた。平日夜の21:00スタートという上映回にも関わらず、座席はほぼ満員といっていいほどの人気ぶり。さすがは喜劇王。

背後からすーっと流れる映像の光、本編の始まりに気持ちを整えるような観客の咳払いと、衣服の擦れる音、ズズーっとストローを吸う音や、カシャカシャとポップコーンの箱に手を入れる動きまでも、わたしは大好きである。

小さなテレビでしか観たことがなかった『街の灯』を、大きな劇場でたくさんの観客と一緒に観ていると、タイムスリップでもして、当時のハリウッドと今わたしはどこかで繋がっているのではないかと錯覚を起こすほどだ。

みんなと同じ時を共有している。見知らぬ人々と同じ興奮を味わっている。自分が大衆の一部となり、大衆もまた自分と同じ気持ちになる、スクリーンの前では誰もが等しく観客であることが、わたしにとってとても大切な瞬間なのかもしれない。

目の前に映るスターの演技に酔いしれて、泣いて、笑って。
映画っていいなと思う。
映画館って素敵な場所だなと思う。
映画祭ってこの瞬間を味わうために開催する意義があるんだよなと思う。

たくさんの映画を一挙に観るなら、サブスクが良いに決まっている。
それでも映画を映画館で観るのは、張りぼての世界から超越して、人と、文化と、歴史と、未来と、自分を繋げるための、その架け橋を渡りたいと思うから、かもしれない。

それでいて、上映が終われば「良かったね~」「面白かったね~」と言って、そそくさと食事に向かったり、仕事に戻ったり、日常に消えていくそのライトさが、また映画の良いところである。映画のある日常が、今日も明日もこれからも、ずっと続いて欲しい。そのたびに、映画館が慎ましやかに機能してくれることが、わたしの願いである。

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