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仕事は団体戦だから。

とは書いたものの、わたしは団体競技の経験がない。
陸上短距離、硬式テニスシングル、スケートボードフリースタイル…どれもこれも、己との戦いばかりだった。だからこそ、仕事においては「あるポリシー」を持っていないといけないのである。仕事は団体戦だから。

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わたしにとっての「仕事のポリシー」は、「人任せにする」ということである。いや、これでは語弊がある。もう少し"良さげ"な言い方でいうならば「隣の人を信じて任せる」ということだろう。

これはわたしが社会人を迎えるとき、姉から教えられたある種の極意のようなものだった。

「自分にしかできない仕事、なんて思う必要はないから」

姉もわたしも責任感が強いほうである。そう書けば聞こえはいいが、たぶんどちらも臆病なのだと思う。人から頼み事をされるとNOと言って突き返すことはできないし、人様に迷惑を掛けるくらいなら身を削るほうがラク…と思う質である。個人のお楽しみの範囲、仲間内でのキャラならそれでも構わないが、仕事をする者として、この性質は結構面倒である。

仕事をするとは、共同体の中で生きるということだと思っている。
しばしば我々は、仕事=お金を稼ぐ行為と見なしがちだが、本当にお金だけが目的であるならば、こんなに回りくどくて非効率的なことはしていない。(現職の上司に見つかりませんように。笑)
お金はそんな共同体の中で生きていく上での産物に過ぎず、その主たる目的は、つまるところ「愛」とか「尊厳」とか、そういうものの長寿と繁栄にあるのではないかと思う。
したがって、ひとりで完結できること、完結しようとすることは、「仕事」において厄介にはたらくことのほうが多い、というわけなのだ。

しかしどういうわけか、仕事はすればするほど、成果をあげればあげるほど、「自分にしかできない」というポジティブな呪いにかかってしまう。これは一見すごいことをやっているようで、仕事の完成とは程遠い。現実問題では、これを「人手不足」や「ワンマン上司」といった言葉に姿を変え、広く社会問題に蔓延っている。

仕事のポリシー、上手く仕事を回すコツ、昇進の極意、評価される仕事ぶり、あらゆる媒体でそんな「How to 仕事」のヒントを見聞きすることができるが、そのどれもが対人関係のヒントと言い換えができるものである。それくらい、仕事とは人対人の関わりの最終形態ともいえる、特殊なコミュニティなのではないだろうか。

さて、繰り返しとなるが、わたしの仕事のポリシーは「人任せ」である。
いつ何時わたしが消えたって、何事もなかったかのように業務が進行されること、それこそが最も美しい仕事の在り方だと信じてやまない。「ホウ・レン・ソウ」が大切、というのも、そういうこと。自分だけを頼ってくれる、すべての仕事を自分ひとりでこなしている、そんなことに快感を覚えるようになったなら、仕事は終わりだと思う。私たちはバットマンやスパイダーマンではないのだ。いや、そんな偉大なスーパーヒーローだって、仕事においては「人任せ」なのである。バットマンことブルースウェインの仕事は、ウェイン・エンタープライズのオーナーであり、スパイダーマンことピーターパーカーの仕事は、新聞記者。孤高のヒーローである彼らも、仕事ではその他大勢の中のひとりに過ぎないのだ。

これからの社会を担う若者がこんな消極的なことを言って…と、あなたは落ち込んでしまうだろうか。仕事なんてそんなものなのか…と、あなたの膨らみかけた夢がしぼんでしまうだろうか。辛いがそれならそれでも構わない。仕事のポリシーは、多種多様であっていい。多種多様であるほどいい。だってすべては、誰かから誰かの「人任せ」によって流れてきたものが、あなたの仕事になるわけだから。そう、仕事は団体戦だから。

わたしのように手の抜きどころに悩む仲間よ、自分にしかできない仕事、なんて思う必要はないから大丈夫。それが仕事のいいところ。おもしろいところなんだと、わたしもようやく気付き始めた。

#仕事のポリシー

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