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靴の古着って、どう?

古着というか、ヴィンテージというか、ユーズド?なスニーカーを、先日買ってしまった。
特段こだわりがあったわけではなく、そのデザインと履き心地の素晴らしさに惚れ込んで、勢いでいってしまっただけのこと。

わたしにとって、洋服の古着を買うのは日常だが、靴のお古というのはこれが初。
ユーズドスニーカーヴァージン、晴れて卒業というわけである。

ところで、皆さんはお古の靴については、どうお思いだろう。
汚い?理解ができない?気が知れない?

ちなみにわたしは昔から、靴だろうが、洋服だろうが、何だろうが、"お下がり"、"お古"にこれといった抵抗がない。幼少期は何でも「姉のお下がり」が常だったせいか、むしろ新品のものを買うより、誰かが使い倒したものをまだ現役で使えているということに、ある種の優越感を持っていたようにも思う。
次第にそれを「ヴィンテージ」や「レトロ」「クラシック」などとイキッた呼び方をするようになり、「良いものは良い」という独自の価値基準の中で、古着のアイテムたちも新品の一張羅同様に愛せるようになってしまった。

もちろん、古着の面白さを万人に理解してもらう気などもサラサラない。一緒に古着屋巡りをしてくれるような人が増えたら楽しいだろうな、とは思うが、別にそれができないからといって、なんの不都合も生じない。

しかし、今回初めて「靴の古着」というものに手を出して、そのお店の店員さんと言葉を交わして、改めて感じた"お古"の良さは、やっぱり「丁寧さ」に他ならない。

モノの扱いの「丁寧さ」
そのモノの良さを見つける「丁寧さ」
購入者への商品を説明する「丁寧さ」
そういう丁寧な気配り、心配りが、「古着」という文化には、多にして浸透していることがあり、人と被らないわたしだけの掘り出し物!という価値以上に、そうした人の想いを買わせていただいている、という喜びにどっぷりハマっているのだと思う。

特に「靴」というのは、洋服以上にその「使用感」が目立つ。
ソールのちょっとすり減っている感じとか、足を通した瞬間の新品とは違うはじめまして感とか。
人によってはそれがどことなく"気持ち悪い"と思うのだろうけど、自分とはまったく違う道を歩いてきたであろう、"前の誰か"の丁寧さを感じられるのは、わたしにとってのおかしみなのである。

新品には新品の良さ。
古着には古着の良さ。
その時感じたトキメキには、どう頑張っても抗えないよなぁと思う。

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