見出し画像

後悔の正体について①

なんで今アイス食べてるんやろう
え?この誤字脱字は自分でも引くわ。確認したらよかった
買い物行こかなと思ってたのにジャルジャル見てたらもうこんな時間やん
やば、気ぃ付いたらもう2022年あと2ヶ月もないやん
いらんこと言ってもうたな

そういえば、よくこんなことを考えているな。
私は後悔の正体について考えていた。

まず、後悔にはいくつかの種類がある。
したことの後悔、しなかったことの後悔
何も考えなかったことの後悔、考え抜いた末の後悔
だいたいこんなもんだろうか。
これまでの私は
まあ、やらないよりはやって後悔したほうがいいか。
今回のミスは今後に活かそう。何か意味があるのだろうな。
くらいにしか考えたことがなかった。

だけど、今日は後悔の正体にたどり着くために大事な手がかりとなりそうな
あるひとつの新しい考察を得ることができたような気がしている。

ある人が「ぶらぶらと買い物をすると、だいたい後悔するんですよね」
と言うので、私は驚いた。
そんな繋がりについて考えたことがなかったからだ。
反対に、今日は買うぞと決めている時にはあまり後悔しないらしい。
買うぞと決めている時にはどんなことを考えているのかを問うと、
友達に「どんなのが欲しいの?」と聞かれるので、
「青い長袖のシャツが欲しいんだよね。胸にポケットがあって、麻っぽいのがいいな。」という風に具体的なイメージをするのだそうだ。
なるほど、『決める』ということか。

私は近頃、『後悔』について考えると同時に
『決める』ということについても一層考えていたのである。
「人生は選択の連続だ。」
いつかテレビCMか何かで流れていたような気がするこのセリフが心の奥底にずっとあったのだが、今調べると実はシェイクスピアの名言らしい。

長い間この名言について
自ら選択することで人生を切り開いていくのだ
という意味合いでしか捉えてこなかったが、
人生とは自らの選択によって形作られている
ということでもあるのではなかろうか。
そうすると、今の後悔も幸せも全て私の選択の結果ということになる。
もちろん生まれ育った環境などは選択できないが、それをどう捉えるか、大人になった自分がどのような選択を取るかは自由だろう。

その前提を元に、先ほどの『後悔』と『決める』ということの繋がりについて考えることとしよう。
買い物をする時に具体的にイメージして購入に至ったものは後悔せず
ぶらぶらと何となく買い物をすると後悔するという発見から
目指すゴールについて具体的なイメージをすることの重要性が見えてくる。
何色がいいのか
形やシルエットはどんなものがいいのか
どんな素材がいいのか
値段はいくら位までなら許容範囲か
全て詳細に決めておくということが後悔しないためのメソッドなのだとしたらとても面白い。
後悔することが全くの悪いことだとは思わないが、しなくて済むのであればありがたい。

このアイスは金晩のお風呂上がりに食べよう
誤字脱字のない資料を提出して気持ちよく読んでもらおう
今は一旦ジャルジャルを見て仕事終わりにスーパーに寄って豚バラを買おう
2023年の1月はこんなことをして2月はにはこうなっていて・・・
いらんこと言ったらちゃんと謝って、いることも言おう

こんなところだろうか。
まあ、決めていたって思い通りにならないのが人生だからな。
と決めていたら思い通りにならない人生になるのかも知れないところもまた面白い。
ブログを書いているのが楽しくて気が付いたらもうこんな時間。
次からは寝る時間も決めよう。でもこんな後悔はちょっと嬉しいかも。
『後悔の正体について①』があるということは②もある。

おやすみなさい。
今日も素敵な夢をいっぱいありがとう。
どういたしまして。


















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?