灼熱のシドニーマラソン
いや、気温を舐めていた。
今回のシドニーマラソンを一言で表すとこれになる
僕はシドニー在住者、このマラソンも何度か走ったことのある、いわば「シドニーマラソンのベテラン」なのに、なぜこんな事になったのやら…。
その週から、不穏な空気はあった。
この時期(開催日は9月17日)、シドニーは季節的には春だ。
朝晩はまだヒヤリとしていて、晴れていても最高気温は20度前後。日本と比べると比較的湿度の低いシドニーなら、この程度の気温の中を走るのはそれほど過酷ではない。
ところがなぜか今年に限り、しかもこの週に限り気温がぐんぐん上がり、当日は最高気温が30度になるとのこと。
マラソンランナーなら分かるはずだが、高温の中を走る、ましてやフルマラソンの距離というのは自殺行為に近い。
現にスタート前日には、「当日気温高いから気をつけてね!」というメールが大会事務局から来たし、ホントに開催しても大丈夫かよ、という論調のニュース記事もあった。
前日に天気予報を確認しても、うーむ…これはキツそう。
スタートは7:10amで、僕は普段なら3時間40分台で走る程度のランナーなので、11時までにはゴールできそうだが、それでも27度か。ゆっくり走れば走るほど暑さとの戦いとなる。暑いので速く走って早くゴールしたいけど、暑さでバテないように自重する必要もあるし…悩ましいところだ。
さて、当日。 スタート地点に向かう電車のプラットホームは、ランナー率99%。
スタート地点は、例年になく参加者が多くてごった返していたが、無事に指定されたグループの群衆に入り、程なくスタート。
スタートしてすぐにハーバーブリッジを走るのは爽快だ。普段は車で埋まっている8車線の道路をランナーが埋め尽くしているのは壮観でもある。
そして、見てくださいよこの青空!まさに、シドニーブルースカイである。
うん、体調はいい感じだ。これなら、けっこう良いタイムで走れるんじゃね?
と悪魔がいつものように耳元でささやく。
で、調子に乗ってしまったわけなんですよ、ハイ。
これが初心者ならば、無理は絶対しないと思う。更に本当のベテランランナーなら、後半上がるであろう気温に備え、自重するはずだ。
僕のような、「ま、マラソンは何回も走ってるし、なんとかならあな!」という訳のわかったふりをする中途半端な経験者が、こういう悪魔の囁きに負け、後で自爆する羽目になるのである…いちばんタチが悪い。
前半は、主にシティ、ダーリングハーバーといった、観光地っぽい場所をめぐりながら走る。
まだまだ気温はそれほど上がっていないし、なんか行けそう?と思ってしまう。
ここで、ゴールのオペラハウスが目に入る。まだ半分も行っていないのだけどね。
このあたり、高級ホテルもたくさんあって、僕も仕事柄シドニーのホテルマンなので、誰か働いているかな…と見てみると、あ、いた!
おーい!と声をかけたら、喜んで5メートルほど並走してくれた。
フルマラソンはメンタルをどう保つかというのも大事なファクターなので、こういうことがあるとありがたい。
それから、今年は例年になく沿道でのバンド、DJの数が多かった。しんどい時は、もうなんでもかんでもこういった気分のいいもの、ハイになれるものを身に受け、それをエネルギーに変えていく。
マラソンコースはここからシティを一度離れ、郊外の大きな公園、センテニアルパークを目指す。
このエリアは、フットボール場も併設されているかなり広いエリアなのだが、ここをあっち行ったりこっち行ったり、ぐるぐると走らされる。その総距離、なんと15キロほど。
実は、僕の自宅はこの辺にあって、センテニアルパークはいつも走るランニングコースでもある。なので今どのあたりを走っているのか、起伏はどんなものなのか、といった点を熟知しているのはプラスだが、逆に新鮮味がなくて気持ちがダレる、というネガティブな要素もある。はて、今回はプラスマイナス、どちらが出るか。
そしてこの辺りで気温がかなり上がってきた。たぶん25度を越えているかも?日差しが肌に刺さり、じわじわと体力、そして気力が削がれていく。
と、横から「日本人の方ですか?」という声が来た。
「あ~、そうです」と返事をすると、その僕より年上に見える男性のランナーは、
「いやあ、暑いですなあ…。シドニーマラソンは涼しいから、と誘われて参加したのに、これは参りますわ…」とぼやかれていた。
「ま、普段はもうちょい涼しいんですが、なんか今年だけは異常で…(スンマセンね~、とシドニーを代表して心の中で謝りました)。ともあれ、ここから先はあまり坂も少ないので大丈夫ですよ~!」
と励ましの声を、福岡からいらしたという方にかけたけど、その人はさっそうと僕を追い越していった。なんだ、まだ体力余ってるじゃん。日本の夏をサバイブした人にとっては、これくらいの気温は涼しいくらいなのかも。
それとは逆に、僕はといえば、ずるずるとスピードが落ちてきた。しかも、この辺りでコースの横を歩いている、エリートランナーらしいシャキっとした体格の人を見かけた。その女性ランナーが、
「どうだった~?」
「いやもう、全然ダメ。やってられないわよ」
なんて会話を交わしていて、あ、この人たちは途中棄権したんだ、と気づく。
嫌なものを見てしまった。もちろんエリートランナーは限界ギリギリで走っているし、完走すればいいというものではないので、良い記録を出せないと分かった時点で潔く棄権をしてしまうのかもしれない。
でも、そんな光景を見てしまうと、あの人達が棄権するほど過酷なコンディションなんだ…と少しゾッとしてしまった。
やれやれ、しんどいなあ~、と思っていたら、沿道から声をかけられた。
わ、今回は体調不良で不参加となったラン友だ!
こういう気分が下がっている時に知り合いから声援を受けるのは、まさに地獄で仏、という気分になる。ボトル入りの冷やした水をもらって、これが日に焼けつつある肌に気持ちいい!
もちろん、沿道には給水スタンドがあって、沢山のボランティアが水を配っていたが、これは常温なので冷えた水はありがたかった。
でも、ついにガス欠になってきた…そして、足もあちこちがつりだした…。
ついに、32キロ地点のあたりで歩き始めた。
フルマラソンを何回も走ったランナーなら分かると思うけど、この、「マラソンの途中で歩いてしまう」気持ち…。屈辱、失敗、恥辱…。ありとあらゆるネガティブワードが頭をよぎる。
ただ、今回はそんなカッコつけたことを考える余裕もなかった!だって、本当に暑かったんだもん。
そして、足のあちこちの筋肉が、「もうやってらんねーよ」と悲鳴を上げ、痙攣しまくる。
しばらく歩くとけいれんが治まってきたのでまた走る、でもすぐにまた足がつる、また歩く…その繰り返し。
もちろん、どんどん他のランナーに抜かれていく。
このあたりを走っている…じゃない、歩いている写真、動画を見ると、虚脱した表情がありありと出ていて、まあ情けないなあ…と苦笑を禁じえない。
それでも、残りキロ数はゆっくりとではあるが減っていき、ゴールのオペラハウスに近づくにつれて沿道の観衆、声援も増えてくる。
これでは歩くなんてカッコ悪いことはできんなあ…と、最後の気力というか見栄を振り絞り、ゆっくりとだが走り、オペラハウスに向かう。
なんとこの大観衆!これは壮観としか言いようがない。
「ひゃ~、なんとかゴールできたわ!」
という安堵の気持ち一杯でゴールのラインをまたぐ。
不甲斐ない走りだったけど、ゴールをしたならば、その時点である意味勝者である。
完走メダルももらった。
さて、今回の記録だが、4時間13分51秒。これ、過去の自分のフルマラソンではワースト記録。人生初マラソンの時の記録より遅いってのはひどいなあ。
普通なら悔しくなるような記録だし、走りっぷりも、はじめ飛ばしすぎて後半ボロボロ、というサイテーのものだったけど、不思議とネガティブな気持ちにはならず、こんな過酷なコンディションの中を走り終えた、という達成感、さらにいえば一種の爽快感すら感じた。
というわけで、今年もフルマラソンを完走することができた。そして、既に「次回のマラソンはどこを走ろうか…この次はもっとちゃんとした走りをしたいなあ!」と考えている自分がいる。
マラソンランナーは、懲りないのである。