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さよなら、ジャンボ

ジャンボジェットとオーストラリア、そして私のおもいで。

7月22日は、オーストラリアの航空会社最後のボーイング747、通称ジャンボジェットの最終フライトだった。世界中でジャンボがどんどんいなくなっているが、オーストラリアの航空会社、というコンテクストでは、これがラストフライトだった。

ラストフライトといっても、パイロットのみで乗客はおらず、行き先はアメリカのモハベ砂漠の格納庫。その後どうなるかは、保管される、というだけであまりはっきりとニュースに出ていない。

以前に何かのテレビ番組で、アメリカには「飛行機の墓場」があり、解体を待つ古い飛行機がずらっと並んでいるのを見たことがあるが、このジャンボもいずれは解体されてしまうのだろうか?

ジャンボに限らず私が初めて飛行機に乗ったのはまだ10歳にも達していなかった頃で、祖父母の家に帰省する際に、普段は新幹線を利用していたのになぜか乗った、羽田と伊丹を結ぶDC-8だったはずだ。

その後父がシンガポールに駐在となり、2回めの航空機かつ最初の国際線に乗ったのが1980年だった。ジャンボに乗れたらいいなあ、と期待していたが、その時の機材はDC-10だった。この機種は少し前に事故が何件かあって、不安に思って搭乗したことを覚えているし、そのせいか分からないが飛行機酔いをしてしまい、青ざめた顔で初の外国に降り立った。

シンガポールには4年ほど住んでいて、狭い国だから夏・冬休みの家族旅行の行き先は必然的に海外だった。なので飛行機にもそれなりに乗ったが、行き先はマレーシアやインドネシアのような近隣の国だから、機材はB-727、B-737といった小さな飛行機だったし、日本に一時帰国した時に乗ったのもジャンボではなかったような記憶がある。

鮮明に覚えているのが、シンガポール航空のジャンボだった。今では世界のトップを行く航空会社だが、ちょうど私がいる頃にこれも世界でもトップクラスの空港であるチャンギ国際空港がオープンし、アジア一の航空会社になるべく張り切っていた。
航空機のアップグレードにも力を入れており、ある年に鳴り物入りで、ビッグトップという愛称の、2階部分が延長されたジャンボ機を就航させた。ただでさえ大きなジャンボをさらに大きくしたこの新型機を見たさに、親に頼んで空港の近くまで車で行ってもらったこともあった。

父親の駐在期間が終わり、シンガポールを引き払って家族で日本に帰ることになった時は、会社の粋な計らいで現在に至るまで一回こっきりのビジネスクラスに乗せてもらえた。会社の経費で乗る飛行機なので、日本航空を使うのが筋だったと思うのだが、シンガポール航空のビッグトップに乗りたいので、親にごねてそうしてもらったような記憶があるが、今度父親に聞いてみるか(覚えているだろうか)。

初めて、機内に入って普段は関係のないらせん階段をあがって2階席に行き、子供が二人分座れるような幅の広い席に座れた時はシンプルに嬉しかった。正直、ガキがビジネスクラスに乗っても、サービスや設備をたしなむようなこともないのでもったいないし、周りの乗客は迷惑だっただろうけど、あれは少年時代のハイライトだった…のかな。

ここで衝撃の事実。実際に父親に聞いてみたところ、
「んな、ウチのケチ会社がそんな計らいするわけないやん。エコノミーの2階席にたまたま乗れただけやで」と。
少年時代のハイライト、が瓦解してしまった…。あまりにも悲しいから、ビジネスクラスに乗ったことに記憶を改竄しようかな。

そしてひょんなことからオーストラリアに住み、年に一度のペースで海外旅行や日本への一時帰国をするようになると、オーストラリアはどこからも離れているので必然的にジャンボに乗る機会も増えた。日本で国内線に乗っても、東京ー大阪便は一度に沢山の人を運べるジャンボが多かった。

そうすると特別感も薄れて行くというのが世の習いで、ジャンボは私にとって単なる移動の手段となり、かえって大量の乗客が乗り降りするので時間がかかってめんどくさい飛行機に成り下がってしまった。

そのうちに世界は飛行機だらけとなり、燃費や効率という名のもとにジャンボの衰退がはじまった。エンジンが2基で航続距離も稼げるB-777がとって代わるようになり、ジャンボと同じ4基エンジンの航空機では、A-380に主役の座を奪われてしまった。私も、同じ行き先ならジャンボよりもA-380だよなあ…と、浮気をしてしまったわけだ。

そういえば、村上春樹の、「羊をめぐる冒険」の文中に、ジャンボについて書かれた一文があるけど、これがひどいんだ。

…彼女は唇をかんで、しばらく747のずんぐりとした機体を眺めていた。(中略)747はいつも僕に昔近所に住んでいた太った醜いおばさんを思い出させる。はりのない巨大な乳房とむくんだ足、かさかさした首筋。空港は彼女たちの集会場みたいに見えた。

今なら確かにジャンボは「おばさん」という年齢だが、春樹さんがこの本を書いた時分は、747(ジャンボ)は航空界の花形だったはず。彼はジャンボ機になにか含むところでもあったのだろうか?いやまさか。

ちょっと脱線してしまったが、それでも、シドニーからシンガポールへ行く8時間のフライトでエアバス320などに当たると、こんな小さい飛行機で8時間も飛べるのかよ?と半信半疑になってしまうし、B-737のような小型機で天候の悪い中を飛ぶとかなりナーバスになるので、やはりエンジンが4つあるジャンボのような飛行機は安心感がある。

さて話はカンタス航空のジャンボに戻るが、この航空会社が最初にジャンボを使用したのが1971年というから、ほぼ50年の長さ。私の年齢とあまり変わりがない。なんといってもオーストラリアは世界の他の場所と隔絶しているので、航続距離が長く、一度に大量の人員を運べるこの機材は利用価値が高かったのだろう。

カンタスが、B-747のトリビュート動画を出している。

この動画にも出ているが、最後の乗客を乗せたフライトは、Covid-19の影響で帰国困難になったオーストラリア人を乗せた、チリのサンティアゴからシドニーまでのチャーターフライトだった。その他にもいろいろな災害があった時の避難機としてにジャンボは活躍している。

最後のジャンボは、下の動画のようなイキな軌跡を描きつつ、オーストラリアを後にしたのである。

早く皆が行きたいところに行ける世の中に戻るといいなあ…。

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