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ブルアカ超電磁砲コラボと構造主義

コラボ!

10月24日から、私が大好きなゲームであるブルーアーカイブが、KADOKAWAから出版されている、とある科学の超電磁砲とのコラボが始まりました!サービス初期の初音ミクコラボ以来、第二回目のコラボということで、界隈も大いに盛り上がっています!超電磁砲コラボ!?僕のデータにないぞ!?

初音ミクコラボの時点では私はやっていなかったのですが、どうやらXをざっと見ている感じ、初音ミクの魂をエンジニア部の作った身体に入れて現界したみたいな登場だったらしいのですが、今回のコラボ相手のキャラがこちらに来た経緯はどうやら違うみたいですね。ネタバレが云々というほどシナリオに波があるわけじゃないので、少し見ていきましょうか。

違う世界(物理)

インディアンポーカーという、他人の夢を追体験できるカードが超電磁砲にはあって(超電磁砲世界では、結構これで色々やっています)、それで遊んでいた美琴一行は何の因果かこのキヴォトスにやってきてしまったそうですね。

超電磁砲の主人公である、学園都市に7人しかいない超能力者のうちの一人、御坂美琴は単身キヴォトスのチンピラと戦って思うのです。

このキヴォトスは、学園都市とは様相が違いすぎると気づきます。銃を持ち歩くのはさもありなん、ヘイローは意味わからないよね、そりゃそうだよね。

エイミの服にダメ出し!
そうだよ。

彼女たちにとって、キヴォトスの常識は、常識ではないということです。キヴォトスの世界の描写しかされてこなかった我々にとって新鮮な発見ですね。

なんかえっちですね

文化人類学

まぁ当たり前のことですが、学園都市には学園都市の常識が、キヴォトスにはキヴォトスの常識があります。文字に起こせばそりゃそうだろと思うでしょうが、我々日本人は、そんな簡単に違う文化圏には行くことがありません。頭で思うのと、肌で感じるのとはまるで違うのです。

今回のコラボで、キヴォトスの世界観について考察が数段進むだろうと私は踏んでいますが、そこはさておき。このように他の文化圏に入り、実際に体験してその土地の文化を研究する学問のことを「文化人類学」と言います。

文化人類学は「旅する学問」と言われます。それは、主とする研究方法が、フィールドワークでその研究対象の地に行き、直接見て、聞いて、調べて、話して、学ぶことであるからです。とにかくその文化の一員となって、共に過ごす。文化人類学にとって、これに勝る研究方法は存在しません。

ではこのような研究をした末に何を読み解くのか。それは、その地に根付く文化を直接研究し、「人間とはなにか」を詳らかにする、大掛かりな研究です。文化人類学はその研究対象の性質から、民俗学や心理学や社会学など含む非常に広範な学問を股にかけて行う、大掛かりな学問領域となります。

であることから、文化人類学として提唱した理論などは、しばしば他の学問に多大な影響を与えます。例として文化人類学の最も偉大な学者であるレヴィ・ストロースは、構造主義を提唱しなんと哲学の分野に多大なる影響を与えました。今回は、この構造主義について解説します。

実存主義と構造主義

まず哲学について説明します。哲学についてという題目は、それだけで記事ひとつ分のボリューム足りうるトピックなので今回はあまり深く掘り下げませんが、つまり哲学とは、「私は何者なのか」「私はどう生きるべきなのか」を真摯に考え続ける学問です。思考に思考を重ね、自身の淵源を知る。そんな終わりのない学問です。こんな終わりの見えない命題に、生涯をかけて挑み、そして自分なりの解を導き出した先人たちが残した文言は正に金言、人生を謳歌するためのエッセンスであります。哲学史に燦然と名を残す哲人達は、彼らの残したものが評価されたがために、その名を歴史に残しているのです。これを学ばない手はありません。

現代哲学において、「自己の生き方」について2つの学派があります。それが実存主義と構造主義です。それぞれ見ていきましょう。

実存主義は、サルトルが言うように「実存は本質に先立つ」と述べられるものであり、全て人間の普遍的真理(本質)よりも、個々の人間の意思(実存)が優先されるべきものである、というものです。キュルケゴールが先駆けて提唱した主義であり、サルトルで完成されたものであると言えます。

ぶっちゃけると、責任こそあれど、人間は自分の好きなように生きていい。そういった理論です。とても耳触りがいい主義であるので、この実存主義は広く大衆に好まれました。言ってしまえば、この主義を盾にしてやりたい放題やっている人もいたそうです。

このような主義に対立したのが構造主義になります。構造主義とは、所属している社会の枠組の中でしか思考や行動ができないというものです。その人の行動や思考は、その社会(=構造)の中でしか行うことが出来ないというこの主義は、社会に強烈な影響を与えました。というのも、この主張は、社会に広く伝わった実存主義を真っ向から否定するものであったからです。ここでは、レヴィ=ストロースの主張した構造主義について説明していきます。

例えば草食動物は、エンカウントした肉食動物から逃げたり、突発した雨に対して雨宿りをして体温の低下を防ぐといった、突発的で論理の域を超えた、直感的で即物的な思考が備わっています。これは、サバイバル環境の中で生きるために備わっている野性的な勘です。それと同様に人間も、社会の中で生きるために、その社会のルールや規則に限らず、様々な問題に対処するための非論理的な直感が備わっており、これを「野生の思考」と名付けています。

この野生の思考が育まれるのは、その人が所属する社会に依存するというのがレヴィ=ストロースの主張です。つまり、所属している社会によって、人は異なる思考体系を持ったり、行動基準を有していたりする。そういったものなんですね。

でも人類皆同じ人間ですから、その社会や文化の違いによって育まれる思考体系は違えど、そこには共通した普遍的な思考パターンがあると結論づけています。大事なのは、その文化ごとに共通した思考パターンを解析すること、そこに至った野生の思考の共有を図り、人類の発展に寄与することです。

その社会で育まれた野生の思考は、正に生存に直結する勘です。他の社会でも役に立たないことなんてありません。そこに文化の優劣などないと、西洋とその他後進国の上下関係を明確に区分けする世論を痛烈に批判したのです。異文化同士の交流、文明の補完が大事であるというのが、レヴィ=ストロースの最も主張したかったことなのでしょう。これは正にダイバーシティ、多様性です。20世紀から既にこの大切さに気づけていたというのは凄いことであると思います。

能力開発がこっちでもできれば、もっと技術も発展するかもね

思えばブルアカ世界もとある世界も、争いの絶えない世界です。アレイスター( ≠クローリー)とか、デカグラマトン(≠テトラグラマトン)とか、とある一部の人間の神秘の追求のために世界を巻き込んで、渦中の人間が翻弄されっぱなしの、大変な世界です。

そんな中で生き残ってきた人々が築いてきた自然智というのは、双方にとってとても価値のあるものだと思います。今回のコラボにおいて、学園都市の3人は、ここでの記憶は全て消されて無かったことにされるらしいのですが、もっとミレニアムの廃墟の研究が進んで意図的な交流が出来るようになれば、もっと双方の研究が進んで、よりよい世界に近づくのではないでしょうか?

60連で出てきてくれた勝ち組
なお美琴

最後にガチャで来てくれた食蜂さんを載っけて、今回はここまでにしようかなと思います。みんなもブルアカやろうね!

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