釈尊の考え方はHIPHOPとリンクするか?
みなさん残暑お見舞い申し上げます。
今日もお盆明けでおつかれさまでした。
さて、釈尊がといた仏教とHIPHOPがどのように合うのか?を
ぼくなりの視線で書かせていただきます。
1:悟りと自己表現の共通点
仏教における悟りと、HIPHOPにおける自己表現の役割や重要性について比較し、両者の共通点を探る。
2. 苦しみからの解放と社会へのメッセージ
仏教の四苦八苦や苦しみからの解放と、HIPHOPが持つ社会的メッセージや抗議活動の関連性について。
今日はこの2点から進めて行きます。
ちょいとお付き合いください。
1:悟りと自己表現の共通点
仏教における「悟り」は、真理を知り、
無知や迷いから解放される究極の状態をしめします。
一方、HIPHOPにおける自己表現は、アーティストが自分の真実や、
フィクション的なことをリリックやビートを通じて、
ラップミュージックで伝える行為です。
両者の共通点は「自己のなかみと対話し、真実を見出すこと
そして、人々につたえること」にあります。
パーツ的にかみ砕きますと、以下の3つがあります。
内省と自己認識:
仏教の修行者が瞑想を通じて自己を深くみつめる
真実を見出すように、HIPHOPアーティストもリリックを通じて自己の内面を表現し、自分自身や社会に対するとうさつを示します。
自己超越: 仏教の悟りは、自己のエゴを超えて宇宙的な真理を悟ることです。
HIPHOPでは、自己表現が自己超越の手段となり、個人的な経験を通じて普遍的なメッセージを伝えることができます。
解放のプロセス: 仏教の悟りは無明からの解放であり、HIPHOPの自己表現もまた、抑圧や誤解からの解放を求めてしめすものです。これらは個人が自由を見出すための道として機能します。
2. 苦しみからの解放と社会へのメッセージ
仏教における「四苦八苦」は、人生における苦しみを意味し、
これらからの解放が仏教の中心的なテーマです。
HIPHOPもまた、しばしば社会的不正や個人的な苦しみに対する抗議として発展してきました。
苦しみの認識
仏教は、人間の生存が避けられない苦しみ(生老病死)に直面していることを教えます。
HIPHOPは、貧困、差別、暴力といった社会的な苦しみをリアルに描写し、その現実に直面することを求めます。
メッセージ性
仏教が苦しみの原因を認識し、それを克服する道を示すように、
HIPHOPも苦しみをただ描写するだけでなく、
そこからの解放を求めるメッセージを発信します。
例えば、暴力の連鎖を断ち切ることや、社会的な変革を訴えることなど。
社会的責任と変革
仏教は個人の内面的な解放を重視しつつも、
慈悲の精神を持って他者を助けることをすいしょうします。
HIPHOPもまた、社会的不正を告発し、
コミュニティを変革しようとする意識が強く、
社会的責任や、多様性を果たす一環としての音楽を提供しています。
まとめると、
これらのテーマは、仏教とHIPHOPが異なる文化的背景を持ちながらも、
共通の人間的な課題に対処していることを示しています。
両者の比較を通じて、現代の人間にとっての新たな視点や、
気づきが得られると信じます。
なんか難しそうで実はシンプルなんですよね〜
とか言っときます。
明日もこの続きを書きます!
今日もありがとうございました!
良かったらいいね❤️、そしてフォローもおねがいいたします。
明日もいい日や
なまんだぶ。合掌
1LOW 釋一承 HIPHOP寺館長
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