郷土と愛
生まれ育った土地を表す言葉として郷土という言葉がある。これに愛情を重ねると、郷土愛というその土地を愛を表す言葉へと変貌する。しかし、今ではこの郷土愛を捻くれて解釈したマイルドヤンキーとよく混同されるが、マイルドヤンキーは自身の縄張りに対して執着を抱えているだけなので、郷土愛と同じ系列として語るべき言葉ではない。
こと沖縄においてこの郷土愛はかなり強い傾向にある。海に囲まれた小さな南国は、周りの国との交流が用意ではなかったため、他国の影響を受けることなくその島独自の文化形成を行えたことは郷土愛が強い理由の一つとして上げることができるだろう。さらに理由をあげるとするならば、沖縄県への成り立ちから読み解くことができるのではないか。
沖縄のことをざっくりと説明すると、沖縄県になる前の琉球王国では、明国と朝貢・進貢関係を結び進貢貿易を経ることでアジア社会の一員となり、少しの時を経て薩摩藩に支配され、明治時代の廃藩置県時には琉球の名を強制的に廃止され沖縄藩・沖縄県となり、第二次世界大戦を経て米国統治の琉球政府を設置し、祖国復帰後には沖縄県として再度日本の沖縄県として成立する。復帰後でも、沢山の米軍基地があることはなんとも歯がゆい状況である。
ここから、何が言いたいのかというと、沖縄は他国との交流が難しい場所に位置しながらも、常に他国と交流または支配を受けていた土地でありながら、独自の文化の形成・時には他国の文化的要素を取り入れながらも、自分たちが作り上げてきたものを忠実に守り続けてきた。それ故に、沖縄は自分たちの土地、つまり郷土に対する思い入れが強さが形作られ、祖先からそれらを脈々と受け継ぎ、うちなーとないちゃーという区分が出来上がるほど郷土愛が形成されて言ったのではないだろうか。
以前、九州某所の女性差別が酷く周りの監視するような社会が嫌で東京に行った。東京はそんなことが起きないので最高!(超意訳)と語っている漫画を目にした。その漫画では、郷土に対する憎しみを顕にし、東京という土地に対する愛情を語っていた。これを読んで、ふと考えたのだが、この場合、郷土愛というのはどこに属することになるのだろうか。
漫画の作者はきっと今後も東京に住み続け、骨を埋めることになるだろう。そうなると、生まれて育った某九州という土地よりも、成人後に移住したであろう東京という土地に住み続ける時間のほうが長くなる。その場合の郷土愛はどこに属するのだろうか。郷土の定義から考えると、某九州に軍配が上がるだろう。しかし、郷土である某九州以上に住むことにあるであろう東京は郷土とは言えないのだろうか。
少し都合のいい解釈をすると、成人後に住む事になった作者は、様々な役所登録を受け東京の人となることができるだろう。ここで作者は某九州の人間から、東京の人間へと生まれ変わったのではと解釈することはできないだろうか。それはもちろん、役所の手続きという法的な話であることはわかっている。しかしながら、郷土の定義で言うところの"生まれ育った"は何を指して"生まれ育った"のだろうか。母親から出てきた瞬間が"生まれた"のか、それとも自身の自我が形成された瞬間が"生まれた"なのか、または、作者のように東京は私のための土地だと宣言した瞬間が"生まれた"瞬間なのか。
そう考えると、郷土という言葉はいかにも不思議な言葉であり、いかようにもできる言葉だなと思った。意味がわからんことを考えると何故こんなにも酒がうまいのか。グフフ。
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