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亀戸餃子 錦糸町店

 すり減っていく残高を目にする度に、金がなく週七で働いていた時期を思い出す。週休二日のメイン仕事の休日に日雇い労働をねじ込む。貧乏暇なしと昔から聞くが、あれは一部は正解で一部は間違いだと思う。僕は幸いにも正解の側にいたのだが。
 日雇労働はもちろんのことだがブルーカラーのお仕事で、軽作業という名の重労働じみたことを行っていた。従事していた人に尋ねてみると、今やっている事務所移転はまだ楽な方というのだから戦慄く。クソでけぇラックを何周も運んでいながら楽とは、何と比べて言っているのだろうか。
 この楽でもない日雇労働に従事していた時期は、精神的にかなりまいっていたのだが、身体を動かすことしか考えられないことで鬱蒼とした気分を一時的に晴らすことができた。インターネットでよく目にする、筋トレは鬱に効く理論は、身体を動かしまくることで何も考える事ができない状態を作り出し鬱になる暇を与えないロジックなんだなとこの時理解した。まぁ、事務所からの帰り道でまた鬱に引き戻されるんだけどね。
 そんな労働に従事して日銭は九千円。東京水準にしては低い雀の涙を受け取り、ダウンジャケットのポケットにねじ込む。大体作業終わり事務所に戻る時間が17時前後だったので、そのまま歓楽街方面に足を向けるのはなんの性なのだろうか。
 日雇い事務所は錦糸町駅から少し離れた場所にあった。歓楽街からはそう離れていなかったので、これから夜を賑やかそうとスナックたちは準備を始めている。その中をツィーッと通り抜けると『亀戸餃子 錦糸町店』の看板が見えてくる。通っていた当時はコロナ禍ということもあり結構早めに閉める体制だったので、滑り込みで入店することが多かった。滑り込み入店且つ着席して頼むのは、もちろん餃子。餃子二枚と大瓶。ここに通い始めて始めて知ったのだが、餃子の単位は"枚"らしい。つまり、餃子一枚お願いしますと注文すると餃子五個がやってくる。二枚お願いしますと言うと十個やってくる計算だ。その十個を一つずつ食べながらビールで流し込む。肉体労働で披露した身体にアルコールと餃子の旨味が染み渡る。美味い。
 この亀戸餃子では餃子のタレ類はもちろんあるのだが、提供される小皿に練からしがたっぷりと添えられる。この練からしがとてもいい仕事をしており、ラー油とはまた違った辛さを味あわせてくれるのだ。また気分によってどのぐらい醤油に溶かすのか決めることができる点も良い。なんか気分が乗らないなと思えば混ぜずに酢と胡椒だけで食べてもいいし、調子がいいには全部を溶かしツンとした辛味を楽しむことができる。タレに関しては自分が決定権を持っている具合がすごく好きなのだ。美味い餃子をタレという名の意志でいかようにもできる。
 何度か通ってるうちに顔を覚えられたのか、餃子二枚を頼んだあとに「飲み物はいつもの大瓶でいい?」と店員さんに声をかけられたことがある。突然の声掛けに驚きながらそうですと答えると、店員さんの笑顔と共に提供をしてくれた。世間では声掛けが行われた店に再度行くかどうかの是非があるが、僕は声を掛けられることはその店に認められた人間になったと嬉しくなるタイプの人間だ。さらに、拡大解釈をしてこの店に認められたということは、この街の一部から認められたようなものではないか、と大きく考えを広げることができる。もう少し通えば街の一部として溶け込むことができるのではないだろうか。そういう考えを持ちながら、練からしを全て溶かした醤油で餃子を頬張るのだ。嬉しくなりすぎて大瓶をもう一本頼んだのは言うまでもない。
 会計は餃子二枚と大瓶一本で大体千二百円。ダウンジャケットのポケットから千円札二枚を差し出すのだが、クシャクシャになった千円札の形を今でも覚えている。

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