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自らを制すると書いて自制

 痩せよう、と思った。体重計に乗って叩き出した数字があまりにも現実離れしすぎており、もはや自分の身体とは認めたくないほどに膨れ上がっていたからだ。
 前を向いている目線を地面に向けてみると、何を溜め込んでいるのかわからない程に盛り上がった腹。何を溜め込んでいるってそりゃあーた、脂肪ですがな。脂肪遊戯ですがな。うるさい、そんなことは委細承知の助。今はこの異常に盛り上がっている腹はなんだと問うているのだ。もちろん、虚空に向かって。なぜ自分の体なのに、自分へ向けないのか。考えてみてほしい。そんな厳しい問を自分に向けて問うてしまうと、自己責任という無駄に追い込まれる概念が発生してしまう。そんな自分を追い込むことをわざわざやってしまうとストレスが急激に発生し、また腹をさらに膨れ上がれさせる原因を作ってしまう。それは本当にお断りしたいので決して自分に詰問をすることはない。
 とあるサイトで記事に対するコメント(はてなブックマークのことだが)を眺めていると、「筋トレが好きなんて自己愛の塊かよw」といった趣旨のコメントがなされていた。衝撃だった。筋トレという自らの筋肉を育てる行為はまさに苦行そのものであり、現代社会における辛いとか苦しいとかを一挙に集めた圧縮するような行為である。その辛苦の中へ身を置くことに対してどこに自己愛があるのであろうかと、とても奇怪に思った。腕立てをすることで上腕二頭筋の育成以外に自己愛も育っていくのだろうか。そして、ブヨブヨの体を拵えた僕は、自己愛が地に墜落、または、深海へと沈没しており、サルベージすら不可能な暗く淀んだ底へと埋没しているのだろうか。わからない、僕にはなにもわからない。
 とは言え、この肥えに肥えた体を無視し続けることは些か気に障るというか、自身のmentalityにとってあまり好ましくない。朝起きて洗面所に行く度に自身の身体を眺めては「え、嘘? まだ夢の中で目が覚めていなかったっけ?」と、毎朝直視したくない現実を突きつけら続けるのは本当によろしくない。このまま肥えを止めることが出来ずにぶくぶく太り続けていると、いつしか足腰も立たなくなりベッドから起き上がることもできなくなり、近所へ酒を買いに行くことも不可能になる。それは大変に困るので、なにかしら対策を打たなければならない。では、どうするか。自らを制する時が来たということだ。
 自らを制する。つまり、自制のことなのだが、僕の人生を省みても自制というブレーキが効いた記憶が一切ない。その象徴として今現在のブヨブヨ身体があるし、過去のことで言えば、業務中に酒が飲みたいなと考えてしまえば、するっと職場を抜け出し酒を買いに走ったこともある。さらには、ノープランで沖縄からエスケープして関東で暮らしたこともある。そんなことばかりを繰り返しているせいで、自制をしなかった事案を連連挙げると枚挙に暇がない。しかし、ここいらで一発自制を効かせてブヨブヨを解消させなかればならない。つか、このままブヨブヨでいると普通に嫌な病気に罹患して荼毘に付してしまいそうだ。生命の淵に立たされているので自制をしなければならない。しかし、目の前には酒とトンカツが踊っているしこれを摂取した時の幸福を抑える事ができるのだろうか。うごごごご。わからない。僕には何もわからない。
 などと悩み続けていると、いつの間にか自制の領域へと侵入していたのだろうか。悩むことを優先し食事の回数が極端に減少。さらに、食事の回数が減れば酒を飲む回数も自然と減っていき、酒で元気がないという状態はあまり訪れなくなってきた。その結果として、体重が5キロほど減りブヨブヨであった身体がボヨボヨになる程には変貌してきたのだ。何たる行幸。なんたる幸福。もう少しこのまま悩み続けてみようかと思う。きっと来月にはガリガリになっているだろうから。


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