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酩酊の中で見る幻覚

  酩酊の中で見る幻覚は美しい、と思う。思うと書いたのは、酩酊の中にいると、見た幻覚をはっきりと覚えていないからだ。なので、と思う、みたいな不明瞭な予想しか立てることができない。しかし、幻覚は見ているという確信はある。今手元に、酩酊の最中書き記したメモが存在しているからだ。
  本題に入る前に、酩酊状態で如何にして幻覚を見るかを書き記しておきたい。酒による幻覚は誰しもが見れるものではないと思っているが、僕個人の方法として捉えてもらって構わない。
  まず、酩酊とは何かを考える。厚生労働省により6つに細分化された酔いを確認できるが、幻覚を見るともなると4段階、つまり酩酊極地と分類される状態に陥ると幻覚を見ることができるのではないかと思う。何もかんもを忘れる泥酔期や危ない状態になる昏睡期では見ることはできない、記憶が保持できる一歩手前の酩酊の間で幻覚を見ることができるのだ。
  幻覚を見ることができる、と書いたのだが、実際には何も覚えてはいない。覚えているものといえば、昨日の楽しげな雰囲気と酔いにまかせて貪った食べ物の不快感。酔ったときの代表的な記憶しか残っていない。だが、なぜかその間に違和感が残る、空白と言ってもいいかもしれない。多分、その空白の時間に幻覚を見ているのではないだろうか。
  して、酩酊極地を狙った酒の飲み方だが、例えば、君が酒を飲みながら明太子を食べていたとする。二房。いつの間にか食べ進めて一房半も消費した。残るはあと半分、一息に食べてしまえば後は残りもしない。しかし、どうしても食べることができないので、このまま残していつか食べるかと、ラップで保管して冷蔵庫にぶちこむだろう。ここだ、ここが酩酊から泥酔に移行するラインなのだ。泥酔に移行する人間は自制心を持つことができずに明太子をずべて食べきってしまうだろう。しかし、酩酊にある人間は一抹の自制心を働かせ明太子を食べずに保管する。この自制こそが幻覚を見せる引き金となるのだ。
  ストレスを解放するために酒を飲んでいるのにもかかわらず、自身の食欲を抑制しようと自制心を働かせる。この矛盾の中で酒を飲み進めていると、いつしか酩酊の極地に至ることができる。そこでは、現実と酩酊の境目が曖昧になり、今目の前に移っているものが実在しているものかどうなのかが怪しくなる。脳みそがフワフワとし始め、脳髄に当たる場所がじんわりと熱を帯び始める。現実とは言い難い浮遊を漂っていると、目の前にクリアな幻覚が見え始めるのだ。いつもならば、大体そこで記憶が途切れる。だが、今回はメモを片手に幻覚を眺めることに成功した。
  酩酊極地の僕によると「二足歩行の豚が歯をむき出しにしながら笑い天使の羽を羽ばたかせながらラッパを拭き雲の切れ間から日光を背負い地上に降りてくる。地上に降り立ったら苦しむように血液を垂れ流し…(以下略)」という幻覚を見ることができたらしい。この幻覚が何を意味しているのか理解することはできないが、こんな幻覚を毎回見るであれば忘れてしまったほうが得なのではないか。オホホ。

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