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異物とわかる瞬間

  最近、巨大建造物がなんか好きになり見かけ次第、写真を撮るようにしている。いいよね、デカい建物。デカいから。
  デカい建物と言ってもたくさんあるしなんぞや、ということにあるだろう。例えば、モノレールの軌条。あれは公共交通機関という公の顔を持つことでどんなに巨大であろうと街並みに馴染むように設計されているし、遠目で見ても風景の一部としてなんの違和感を感じることはない。しかし、いざ近づいてみると、その巨大さに圧倒され、乗り物として適切に設計されたシステマティックなデザインに異物さを感じ始めるのだ。風景の一部と思い込んでいたものが、いきなり異物として立ちはだかる。その感覚が好きで、巨大な建物を見かけると写真を撮るようにしている。
  大阪での旅行で、友人にお願いして船場センタービルに行った。船場センタービルは、一キロにも及ぶビルで約800の店が並ぶ超巨大商業施設だ。願わくばその長大さとどんなお店があるのか見たかったが、その日は残念ながら休館日であったらしく、ほとんどのお店が営業をしておらずシャッターが立ち並んでいた。しかしながら、そのシャッターが立ち並ぶ様子はかなり壮観で、人と経済の息吹を感じない様子は、まるで時が止まっているような感覚すら覚えた。普段では味わえない異質な感じに興奮を覚え、鼻息荒くシャッターを押したことを覚えている。
  このことから、異物や異質感ということが好きなのかなと考えてみたのだが、どうやらそれは違うらしい。異物が好きというところからスタートしてもうまく言語化ができないのだ。ならば、何が好きなのか。右で述べたモノレールの軌条だと、風景の一部として認識していたものが近づいてみると、機械的な見た目で異物と感じるようなったことや、船場センタービルで考えると、シャッターが立ち並ぶ様子は、普段の人の賑わいや経済活動から考えることができないほど閑散としている異質感。この2つから考えると、異物・異質となる瞬間が好きなのではなかろうかと考えている。こう考えると、異物が好きというよりは瞬間が好きと言ったほうが良いだろう。
  普段に溶け込んでいるものが、一瞬にして普段とは異なるものになる。その移り変わりに感じたことを逃さないために、シャッターを押すのだと思うと、巨大建造物の写真を撮る理由として成立している気がするし、かなり楽しいので今後も続けていきたい。

ゆいレールより
船場センタービル

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