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節子鮮魚店

  好きな飲み屋がある。そこの名前は節子鮮魚店。何度も何度も通っているわけではない。しめて4回ほどか。それでもあのお店の雰囲気が好きで行く度に幸せな気持ちなる。
  節子鮮魚店は12時から開いている。これは夜中12時という意味でなく、昼12時から開いているという意味だ。昼12時に開店し、夜21時に閉まる。なんと勤勉なお店だろうか。とても昼からお酒を飲める店だとは思いもしない勤勉さだ。しかし、聴いた話によると、夜も更けてくると店主も酒を飲み始めるらしい。酔っ払い過ぎて会計を別の席の人と間違えたことがあるらしい。なんという怠慢だろうか。店主のフニャッとした笑顔を思い浮かべると狂おしいほど愛おしい。
  節子鮮魚店は出てくるもの全てが美味い。どれもこれも魚が新鮮で食べる度に喉の奥が震える。もちろん、魚介以外も美味いもので、この前行った時に島らっきょうの天ぷらを頼んだ際には、カラッと揚がったものではなく、フリッターみたいなフワフワしたものが出てきた。島らっきょうの天ぷらを厚い衣で覆うのにも驚いたし、なかなか美味いもので更に驚いた。できれば、行く度に味わってみたいものだが、また同じものが出てくるのだろうか。
  ある日、どうしても外で酒が飲みたくなり、一人で節子鮮魚店に行ったことがある。節子鮮魚店は店内で飲むか、店外で飲むかを選ぶことができる。その日は晴れでそんなに暑くなかったこともあり店外で飲むことにした。
  節子鮮魚店の店外ではビールケースを積んで拵えた椅子と今にも足が折れそうなテーブルが並んでいる。そこに腰掛ける前に、氷を沢山に積めた発泡スチロールの中から缶ビールを一つ手に取る。そう、飲み物はセルフで取るため、注文して待つという時間が存在しないのだ。なので、自分の好きなタイミングで酒が飲めるし、自分の好きな量の酒を飲むことができる。酒量をコントロールすることで、酒の自治が完成するのだ。そこが節子鮮魚店の好きな
ところで、発泡スチロールから酒を取る度にどこまでも飲めそうな気分になる。
  目の前に広がる人の往来と日に照りつけられた道路を眺めていると、いつの間にか頼んでいた刺身がやってくる。盛り付けの容器は何度も使い回された発泡のトレー。陶磁器では表すことができない刻まれたシミが味わい深く、さらに酔いが加速していく。刺身は醤油をべったりつけて食べる。美味い。酒で流し込む。美味い。このストロークを行う度に酔いが回るわけだが、地元の人間や観光客の往来、仕事をするための車やただただドライブで来た車、店内で流れるアン・ルイスや隣のオヤジのボヤキなど、それらが目と耳、頭の中で混じって、気色のいい酔いが身体を支配していく。いつしかこの酔いは、身体を溶かし僕を液状化させる。液体になった身体は、節子鮮魚店の床や今腰掛けている椅子のクッション、果てはアスファルトに吸い取られていき、街の一部となっていくのだ。
  そんな妄想に浸り酒を飲むを繰り返す。いい加減、妄想から目が覚め、会計を頼んでみると3000円ほど。周りの店はせんべろばかりで安く済む事もできるのだが、ここではそうはいかない。そこもまた節子鮮魚店の好きなところである。

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