欲の減退と増大
性欲・食欲・睡眠欲など数多くの欲が減退していく中で、一際勢力を伸ばしつつある欲が一つある。なにか。移動欲である。
人は、というより生物は移動をすることで自身になにか得であることを探し求める。草食動物であれば糧と成る草を探し求めどこかしこを彷徨くであろうし、肉食生物であれば獲物と成る生物を探し荒野や野山を彷徨う。一見、移動という動作とは無関係の植物だって自身の種を広範囲に拡げるために様々な手法を取っている。つまり、移動というのは生物が存続するうえで絶対的に必要な行為と言える。
では、人の場合だとどうだろうか。過去だとマンモスをブチ狩ったり、よくわからん樹の実とかを摘むために移動が必要であったのだが、それは現代も同じことで移動をしなければまともに金を稼ぐことが出来ないし、まともに酒すらも買えなくなる。それは人と生物と同じこと。しかし、人は他の生物とは全く違う形で移動に意味合いをもたせることにした。なにか。それこそ移動欲である。
移動をする。移動をすることでなにかを得ることができる。それが生きていくうえで必要なものであったり、そうでないものだったり。この生きていくうえで必要のないことが重要であり、それが欲の形成に繋がていると思う。生きていくうえで必要のないもの、例えば娯楽というものは生きていくうえで必要のないものだろう。おまんま食って寝ていれば人は生きていくことができる。しかしそれは、生物的な生存のあり方であって、理性を有した生物が行う生活とは程遠いものだ。娯楽を遊ぶからこそ人は感情が豊かに育まれ、人として生活を送ることができる。つまり何がいいたいか。人は移動という動物的な行為野中にも娯楽性を見出すことができたのだ。
旅行なんてものは移動の娯楽の極みと言っていい。自身の知らない土地に赴き、知らない景観を眺めて知らない料理に舌鼓を打ち、知らない天井を眺めながら一日あったことを思い出して就寝する。移動をするだけで多くの欲を満たすことが出来るものすごい娯楽性を内包している。そういう多数の刺激を受けたいが為に、移動をしたいと欲が湧いて出てくるのは国自然なことだと思う。
本日は久しぶりに自室から脱し、近所へ散歩に出かけるなどしていた。これが激烈に楽しかった。カメラなんか抱えて一端に撮影しながら。これも移動浴の一つだろう。そして彷徨きながらあれやこれやを考えていた。概ね考えていたことは旅行に行きたいなと、これまた移動浴に関すること。用もないのにその土地に行って、用もないのに電車でどこいらへ移動して、用もないのにどこいらで酒を飲む。そんな用が一切ない旅行へ行きたい。もしくは、目的を一つだけ抱えて、その目的が果たされればまた用のない旅行へ興じたい。
どうしても今いる場所以外のところに行ってやりたい。そんなことを考えながらこれを拵えた。
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