酒を飲むなら文章を書くなとあれほど言ったのに
酒を飲んで文章を書く。明日起きると、取り留めもない文章を書いたなと思い絶望。稚拙な文章を世に出した後悔と酒を飲む前に文章を書くことはできなかったのかという悔恨を蓄えることになる。しかし、この酔った状態で文章を書くというのは結構楽しいので辞めることができない。
酔った状態で文章を書くというのどういうことだろうか。脳が酩酊の最中、文章をまとめることができない状態でどうにか文章を書こうとするし組み立てようとする。今も酔った状態で書いているのだが、どうにか前に書いたこととの整合性を取ろうとするだけで必死になっている。この状態だと、文章のうんたらかんたらとかは考える間は存在せず、自分で書いたことに追いつくため息を切らせていることが現状だ。玄奘。クハㇵ、玄奘である。
酔った状態で文章を書くことは危ういことであるが嫌いではない。今僕の脳は頭の中に存在しているらしいが、酔って文章を書いている際には指に脳みそが宿っている気分になる。右手には左脳が存在し、左手には右脳が存在している。その不思議な感覚が文章を認めてやるぞという気持ちを産む。
して、手に脳が移るとどうなるか。今手の甲でピンク色の被膜を被った肉塊が動脈を打ち躍動している。その躍動している肉塊に「今日は何を書きますか?」と、尋ねてみたところ「本日は貴様の好きなことを書くことがよろし」と、自身の皺を蠢かせ尊大な口ぶりで言うのだ。その結果、こういった文章が生成される。おもしろっ、いや全然おもしろくはない。
そういった状態になり、手に移った脳と付き合わなければならない。今も脳たちは、手の甲でグズグズな踊りを見せびらかし適当な歌を喚いている。おかしい、こっちには盆踊りの風習は無いはずなのに温度が聞こえる。琉球音階と言われるドミファソシドの拍子が僕を踊らせる。センスル節、センスル節。三線と太鼓の音が聴こえる。今にも踊りだしそうな気分を抑えもう一度、酒を飲んでみることにする。
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