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ゲームは酒を禁ずるのに最適な手段

 黄金週間は祖母の危篤があったり、酒の席の予定が消滅したり、そもそも兄夫婦の子供から風邪を移されたりと散々な状態に陥ったがために、心休まる瞬間が訪れることなく消化されていった。そう、消化されていったのだった。
 難しい話である。無視して全てを遂行、完結してしまえば充実し、結果としてなんかいい感じに得るものがあった、最高だったとしてEmotionalなものとして消化することができただろう。しかし振り返ってみれば、自身の欲望を追求したいが為に常識とは並外れた行動をとる無礼千万な行いの結果、他人の生活に介入して無頼漢の如く酒を飲み散らかす最悪の人間と化すことに成るだろう。其れを抑止できたと思えばこの結果もまんざらではないということになるかもしれない。なるかアホめ。アホ界アホ目アホ科の人間め。
 世間は休んでいる中、特に休むことができなかつたとはいえ、休まる瞬間もあった。そんな時間、所謂スキマ時間というアホな名称の時間にゲームヲしていたのだが、これが本当に良かった。大げさに最高! と言っていいのだが、大げさが大げさでなくなるぐらいにいい具合だったと言っても差し支えがない程に良い手段だったと言える。
 僕個人の問題であるが、行き着く間も無いぐらいに忙しいときは合間を見つけて酒を飲むという凶行に走ることがままある。なぜか。忙しいと自己が摩耗してゆき、何も考えることか出来ない状態に陥るからである。その状態に陥れば使い事や苦しいことは、なるたけ忘れたい。忘れたいがために酒を飲む。酒を飲みながら自分とは何も関係のないゆっくり解説動画などを見て怠惰を耽る。この無意味な行動しかできなくなる。
 はっきり言ってこれは虚無である。頭では理解しているのだが、摩耗した状態ではこれにばまりこんで抜け出せなくことがある。なぜか。自身とは何も関係のない事象に対して解説というなにかの問題を紐解いて説明するという紐解く快感が、苦しい現実に耐えかねて行った飲酒の快感と合さり、ものすごい快楽を産むからである。解説動画で得た満足感と飲酒により現実から逃避した満足感。混ぜ合わせたもの浸ってばかりいるので、目先の問題は解消されないし解説もされることはない、という嘘みたいな状態に陥る。サイッテー。
 話は逸れたが、スキマ時間にゲームをやる話である。
 ゲームは本当に素晴らしい。現実では訪れない世界やイベント、人間関係などが一点に凝縮されている。そこから絞り出される露というのは甘くほろ苦いものであるが、飲酒や解説動画などと比べると比べ物にならないほどに極上の露である。其れも其のはずで、飲酒などでは得られない感覚、達成感というものが付随しているからである。ゲームが織り成す露の快感は、飲酒や解説動画がもたらす快感を遥かに凌駕し、プレイヤーの芯の部分に直接浸透していく。其の結果、もたらしてくれるものは一点への熱中であり、その熱中こそが飲酒の依存性や解説動画が持つ仮初の知識欲を忘れさせてくれるのだ。
 その証左として、週五日ほど行っていた飲酒を行うこともなく、ひたすらにゲームに励んでいたのだ。黄金週間は一滴も酒を飲むことがなかった。時間がなかったとも言えるかもしれないが、過ぎ去った今でも酒を飲むことなくNintendo Switchに向き合って『大神』をプレイしている。


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