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踊る場所は作らねばD.I.Y.

 パンクの基本精神はD.I.Y。Do It Yourself。日本語で直訳すると、お前のためにやれ。行間を詠みながら意訳を加えると「もし踊りたいなと思ったら、踊りたい場所は自分で作りんしゃい」ということになる。
 それに則ったパンクスたちは自分が好きなもの、または興味あるものを吟味し磨いあげ形にし携えたうえでストリートに出る。自分が好きなものはこれなのだと自己表現を行い自分の表明を行う。これは音楽でのライブ活動でもいいし、今こうやって自身の考えを文章にて書き起こしてネットの海に投擲することでもよろしい。極論的なことを言ってしまえば、話題になっている染料を美術作品にぶち撒ける活動でもよろしい。自身が抱えるイデオロギーやアイデンティティを何かしらの手段を講じて表現する。それこそがパンクの基本的な精神と言っていいかも知れない。
 その活動をやっていると、いつしか呼応する人間が現れる。所謂、理解のある人間のことだ。理解のある人間。ネット上では理解のある彼くんといった最悪なネットミームが存在するが、それとは一線を画す関係性を築く人間と出会えることができる。なぜか。性欲や恋愛と違い、イデオロギーでつながりを持つことができるからだ。人間の本能とのつながりとは違う理性だけでのつながり。本能外でのつながりに比べて、理性だけでのつながり。どちらが崇高かは断定できないが、理性の中で生きている人間には魅力的に見えるかも知れない。
 結局なにがいいたいのか。僕は未だD.I.Yの精神に則っていないということだ。D.I.Yの精神、つまり自分の踊る場所は自分で用意するという精神。都合よく解釈すれば今ここで書いていることが”踊る場所”の一つかもしれない。しかし、それでいいのだろうかと思う。もしかすると、もしするとだ。自分で踊る場所の面積を拡げることができるのではないかと思うのだ。僕が面白いと思うものを一緒に笑ってくれるような人を探すために何かしらの行動を起こす。そう、例えば本を作るなどをして。
 やっとこさ、自分が作りたい本の方向性が決まった。笑いのベクトルが同じ友人に「なにが面白いと思いますか?」と、僕の日記を携えて尋ねたのが功を制したとも言える。なにを入れてなにを外したほうが良いのか。酔って書いたやつは外したほうが無難です、というアドバイスは甘んじて受け入れようかと思います。甘んじて。いや、謙虚に受け止めたほうがよろしいのでは。
 どちらにせよ、方向性が決まれば後は作り上げるのみだ。InDesignもサブスクリプションとかいうしょうもない金がかかる体制側的な仕組みを採用しているがゆえにさっさと作り終えなければ損以外何者でもない。ムカつく、ムカつくがこれをうまく利用しなければD.I.Yには手が届かなくなるかも知れない。これを利用しなかれば、今更ガリ版とかいうとんでもなく時代遅れの手法で泣きながら労働に使役しなければならぬ。これほどに本末転倒なことはないので、泣きながらPCに向か合うのだった。うぼぼぼぼぼ。


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