「どうせ陰謀論者じゃないかよ」
叶井俊太郎の対談集『エンドロール!』を読んでいるのだが、これが結構おもしろい。
叶井といえば、『アメリ』を買い付けて莫大な富を得たと思ったら、いつの間にか三億の借金を抱え破産。その後は、『いかレスラー』とか『日本以外全部沈没』とか『プー あくまのくまさん』などヤバメの映画を宣伝プロデュースをしている人物である。
そんな叶井は、膵臓ガンにかかり余命半年と宣告。余命が幾許もないのなら、今のうちにいろんな人と会って対談しておこう!というのが本著の趣旨だ。
命の残り時間がそんなにないので、死に関してつっこんだ話がくり広げられるのかと思っていたが、そんなことはなく、大体は朗らかな雑談じみた発言で埋め尽くされている。それでも、叶井から「もし余命半年と宣告されたどうしますか?」と対談相手に質問する場面などが有るので、油断していたらヒヤッとする瞬間が訪れる。余命半年と宣告された人から、余命に関する質問、できればされたくないと、僕は思うのだが、対談相手はそれこそ様々な体験を経た人物ばかりであるので、ヒヤッとするような質問をのらりくらりと交わすところも本著の特徴とも言える。
その対談集の中で、叶井とKダブシャインとの対談が収録されている。Kダブシャインと言えば、ジャパニーズヒップホップのシーンでかなり重要な立ち位置を確立した人物だ。そのKダブと叶井は、中学時代からの友人ということで今回の対談と相成っている。
対談内容は、当時の出会いから右のような質問まで、読んでいて面白いものなのだが、終盤にKダブから発せられた「ここ数年は陰謀論者だと思われているから。いろいろやかましいくせに『どうせ陰謀論者じゃないかよ』みたいな」という言葉が、ものすごい寂しさを帯びており、その対談を読んだあと妙に引っかかっているのだ。
確かに、Kダブがツイッターで行ってきた発言は陰謀論者じみていた。僕はKダブのファンだが、彼のツイッターアカウントを薄目で見ながら曲を聴くなどして歌が、いつしか耐えられなくなりツイッターアカウントをブロックした記憶がある。今思えば、その行為は「陰謀論者とは相容れない」と勝手に思い込み、はしごを外したのだ。それは右の言う「陰謀論者じゃないかよ」と言って、コミュニケーションを諦めた人間と同じような行為をしたといっていいだろう。
「陰謀論者とは相容れない」。本当だろうか、と今になって思う。よほどの差別主義者か攻撃的な人間でない限り、陰謀論者といえども、普段の生活を送っているわけであるし、自身の信条と真反対の人間と世間話だってする。「今めっちゃザワークラウトにハマってて〜」みたいな話だってするだろう。彼らはインターネットでは陰謀論の話題ばかりを話すだろうが、現実世界ではどうだろうか。洗剤が足りないとか、美味しい店見つけたとか、誰これが好きみたいな当たり障りのない話をするのではないだろうか。インターネットの一面性だけを垣間見て、ネット上・現実でのコミュニケーションのはしごを外すことは陰謀論者の人たちよりもたちが悪いような気がしてならない。
「陰謀論にハマるからこうなっても仕方がない」とか「コミュニティの輪からハブられるのは自己責任だ」と自己責任論を振りかざし始める人は、よっぽど自分の教義に対して自信があり正義が有るの思っているのだろう。そのまま綿で自分の首を絞めながら生きていけばいいとも思います。
しかし、右のようなことを述べたとて、いざ僕が実行できるかとなると大変に怪しい。僕とて分断の世界を生きており、自身の政治信条と相容れない人間は敵だと断定したことすら有る。的だと断定し、コミュニケーションはおろか攻撃にすら回ったことすら有る。そういったことをしたことある人間がよーいドン!で、誰これ構わず仲良くすることが出来るのであろうか。かなり難しいだろう。無理な気配すらしている。
しかし、右に述べた「どうせ陰謀論者だろ」という結果をもたらした一端を担っているというのであれば、今後の振る舞いに関して少しは考える必要があると思う。今後も「どうせ」と言ってはしごを外し続けるのか、それともはしごは掛けたままにしておくのか。
まだ半分も読んでいない『エンドロール!』がこんなにも影響を与えてくるとは。続きを読むのが楽しみです。
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