見出し画像

万全なんてないのさ

還暦を前にして、いよいよ定年かぁと思うと、今までになかったことを考えるようになった。健康のこと、老後のこと、死のことなど。ずっと先のことと呑気に思っていた分、なにやら急にいろんなことが頭をよぎる。時に気持ちが落ち込んだりしてくるのだが、エッセイスト岸本葉子さんのお話で少し気持ちが救われた。

予防は無理

40代でがんと闘病し、40歳後半から50代にかけて認知症の父親の介護を経験されたエッセイストの岸本葉子さんのインタビュー記事(Yahooニュース)に目がとまった。

認知症と診断された人は「認知症予防」という言葉に抵抗があるんだとか。がんを経験した立場から「がん予防」という言葉も抵抗があるかとインタビュアーの問いかけに、岸本さんは「がんも認知症も発病を防ぐことは無理」だと感じますと。

なぜかちょっと気持ちが緩んだ気がした。

予防に「こうすればいいよ」と言われるけど、それをすればがんにならないかという保証はない。岸本さんはがんにならないための食事について書かれた本を読んでみたら、自分ががんになる前にしたいたことそのものだった。その時、「がんも予防しきれるものではない」と思った。

予防は大切だけど予防しきれないこともあるだと。


思いどおりにならない

この世は「一切皆苦」、「諸行無常」のすべてが移り変わる一定のものなどない。お釈迦様は世のなかは思いどおりにならないことに苦しみ悩むと説いている。

思いどおりにならないことにこだわり執着することで悩み苦しみ、気持ちが落ち込む。まさに今の私の心持だ。

病気になりたくない、苦しんで死にたくない、がんになりたくない、認知症はいやだ、できることなら健康で長生きしたいなんて、考えてみれば都合のいいことばかり。

「思いどおりにならない」、岸本葉子さんのお話とリンクしてくる。


謙虚な生き方

岸本葉子さんはインタビューの終わりに、生老病死はシミュレーションしきれない。万全に整えようと思うと、予定通りにいかないとがっかりしてしまう。「万全はないんだ」くらいの方がいい。「したいことをして、デキる限りそれを続けていきたい」と結んでいた。

実際にがんを患い、認知症の父親の介護を経験しているからこそ岸本さんの言葉は響く。人生いいことばかりではない、年々歳を重ねる。避けられないことが必ずある。

岸本葉子さんのインタビュー記事を読んで、落ち込んでいた気持ちが少し緩んだと感じたそのわけが分かったような気がする。

謙虚に受けとめられる生き方だ。


その先は神の領域

閉所恐怖症なのかパニック障害なのか、よくわからないが突然それっぽい症状に襲われることがある。長いトンネルに入ったとき、満員電車で揺られているとき、狭いエレベーターが満員のとき。ここから逃げられないと思った瞬間にそれは襲ってくる。

息が上がり心臓がドキドキ、息苦しさに襲われるのだ。


この症状を克服する方法の中にそれがあった。「その先は悩んでもわからない神の領域とわりきること」と。たとえば明日、手術をするとなったとき、自分がやることできることといえばベッドに横になるだけだ。後はお医者さんに任せてゆだねるしかない。どうなるのか考えてもしょうがない、それはまさに神の領域。

だからさ、神の領域は神様におまかせしよう。 


(marusblog記事紹介)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?