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西欧のステロタイプを凌駕する自然への共感力 石牟礼道子 「あやとりの記」(2) <ことばの森を逍遥する>


兵庫県神戸市 1984年ころ

死者の魂がむこう側の世界、高い山の上や海の彼方へ往き、また還って来るというのは、わたしたちの国に古くからある信仰だろうと思います。現在の盆や彼岸の行事は仏教伝来以降に習慣化されたものでしょうが、それ以前から祖霊はどこかむこう側の世界に居て、そこと現世とを往き来することができるという考えがあったのではないでしょうか。そのむこう側の世界を構成しているものは、そういう人の祖霊だけではなく、自然神や妖怪や精霊などの神的なもの、あるいは狐や烏など野生の生きものたち、さらにカタチをなさないような正体不明のなにものかたち、いわゆる目には見えないが気配として感じられる多様な存在たち。この国には一神教の神のような絶対存在はそもそもないので、正体は不明だが必ず存在するそのようなむこう側のものたちには、はっきりとした境界や区別などがなかったのだろうと想像できます。

『だれひとりしかとは姿を見たことのないガーコも、うねうねした丈高い芒(すすき)の中に棲んでおりそうでしたし、モマというものの怪も、夜になれば木の蔭から木の蔭へ飛んでゆく、という話でした。ですから、往還道といえば、祭と、そうでない日が、往ったり還ったりすることでもありました。祭といっても、笛や太鼓のお囃子が通るのだけではなくて、いやそういうものも、ごくたまに通らないではありませんけれども、あの役目を持ったものたちが、いっしんに晴れがましくそこを通るときが、祭なのでした。木や草が花になって灯り出たり、鳥の魂なんかも、みんな自分の役目を持って往き来していたのです。
死人さんの御使いがゆくときには、烏が木に止まり止まりして連れてゆきますし、赤子の産まれる御使いが来るときは、蟹が家の中に上がってまいりますし、みんな、それぞれの往還道を持っているのでした。』

ここで言われている往還道は、人が往き来する道のことだけではなく、こちら側とむこう側を往き来するものたちの通る道のことを指しています。妖怪やもののけや精霊や御使いなど、それぞれ往き来をする道があり、こっちの世界とむこうの世界の間には、明瞭に目には見えないけれども、感じられる人にははっきりと感じられる境界のようなものが存在したのだろうと思われます。

『夕陽が、みっちんのいる薮くらの中から、川塘(かわども)に沿っている往還道を照らし、野面(のづら)を照らし川波を照らし、海の上にありました。
夕陽のひろがるのと同じ感じでみっちんには、いろいろなものたちの声が聞こえました。草や、灯ろうとしている花たちの声とか、地の中にいる蚯蚓(みみず)とか、無数の虫たちの声とか、山の樹々たちや、川や海の中の魚たちの声とかが、光がさしひろがるのと同じように満ち満ちて感ぜられ、それらは刻々と変わる翳をもち、ひとたび満ち満ちたその声は、みっちんの躰いっぱいになると、すぐにこの世の隅々へむけて幾重にもひろがってゆくのでした。なんだか世界と自分が完璧になったような、そしてとてももの寂しいような気持を、そのときみっちんは味わいました。』

幼児であるみっちんは世間(大人たち)の常識に囚われないイノセントな存在ですから、神々の使いや生きものたちや、いろいろな自然からのメッセージを感じ取ることができる少女です。ヒロム兄(あん)やんが、山からイチイの大木を一人で切り出したとき、あの衆(し)たちに加勢してもらったという話を聞いて、みっちんは「あの衆たちは、どういう衆か」と尋ねます。

『「姿形ははっきりせんじゃった。小(こ)ぉまか、影のような衆たちじゃった」
「何人ばっかり」
「さあなあ、重なったり増えたりして、ようは見分けんじゃった。かれこれ、十人ばっかりじゃったろか、二尺ばっかりの、小ぉまか衆たちた。雪がちらちらせんならば、まちっとよう見分けたかもしれん」』

それでも、どういう姿だったか?と、みっちんが、さらに食い下がると、ヒロム兄(あん)やんはこう言います。

『「この世にはな、見てよかことと、見ちゃあならんものとある」
「見ちゃあならんもの?」
「そうじゃ、見ちゃあならんもんのある」』

神の姿を見てはいけない、その名を呼んでもいけないというのは、旧約聖書にも出てきます。見えないなにものかの存在に対して、見てはいけないというダブ―を設けることは、その存在のリアリティを担保するための人間の知恵なのでしょう。

『みっちんの家のおもかさまが、囁いて聴かせることがありました。
「あのな、人間より位(くらい)のよか衆たちが、あっちこっちにおらいますよ」
「人間より、位のよか衆たち?」
おもかさまは、内緒ごとを教えるように、ほつれ毛を見えない目の前に垂らしたまんま、頬をくっつけてきていうのでした。
「耳澄ませ、耳澄ませ」』

人間より位(くらい)の高いものたちが、この世界にはたくさんいるのだと、盲で狂人のおもかさまは言う。いわゆる進化論よろしく、生物界の頂点にいるのが人間だという考えは、西欧近代思想の根底をなしているように見えます。人間は、自然界の頂点にいて、自由自在に自然界を支配する存在だという人間中心主義が、科学主義の基底にはあると思います。西欧思想の延長で主張される自然との共生という概念は、どうしても人間が上位にあり自然が下位にあるという上から目線を逃れられない気がします。

野生動物を絶滅させないために、あるいは鯨を殺すのが可哀そうだから、という理由で自然保護を訴える西欧的な主張に、わたしたちがなんとなく違和感を覚える理由が、このあたりにあるのではないかと思います。西欧的な自然保護思想は、決して自然を人間の上に位(くらい)させることはなく、あくまでも人間を中心とした人間的な都合によるもので、自然を対象の位置から引き上げることはないように見えます。

「沈黙の春」によって環境問題を告発した草分であるレイチェル・カーソン、その遺作「センス・オブ・ワンダー」は、こんなふうに書きはじめられています。

『ある秋の嵐の夜、わたしは一歳八か月になったばかりの甥のロジャーを毛布にくるんで、雨の降る暗闇のなかを海岸へおりていきました。
海岸には大きな波の音がとどろきわたり、白い波頭がさけび声をあげてはくずれ、波しぶきを投げつけてきます。わたしたちは、まっ暗な嵐の夜に、広大な海と陸との境界に立ちすくんでいたのです。
そのとき、不思議なことにわたしたちは、心の底から湧きあがるよろこびに満たされていて、いっしょに笑い声をあげていました。』

ここには、いわゆる自然への畏敬や驚嘆が表現されています。そこから、さまざまな生き物や自然現象やの魅力が綴られていきます。そして、子どもが本来もっている自然への共感力を育む重要性を訴えています。

『子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。』 

『妖精の力にたよらないで、生まれつきそなわっている子どもの「センス・オブ・ワンダー」をいつも新鮮にたもちつづけるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります。』

この「センス・オブ・ワンダー」には、イノセントな幼児であるみっちんが自然と響き合う物語である「あやとりの記」と通じるものがあると思います。けれどもレイチェル・カーソンの描出する自然と、石牟礼さんの描出する自然とは、ずいぶんちがうもの、ほとんど別のものといっていいように見えます。レイチェル・カーソンの描く自然は、人間と対立するものとしての、あるいは人間の外側に環境として存在するものとしての、「対象」としての自然だというふうに読めます。それに対して、石牟礼さんが描く自然は、人間と自然が、含み含まれ、生かし生かされ、相互に浸潤し合い、境界を溶かし合うような、混然一体となった自然です。

もちろん、レイチェル・カーソンは生物学者であり、石牟礼さんは文学者ですから、ことばの表現力に圧倒的な差があるのは仕方ありませんが、それだけではなく、前提となる認識そのもの、世界の捉え方そのものに違いがあると思えます。石牟礼さんが捉えた世界あるいは自然、この特異性をどのように名付ければよいのか?東洋的世界観というものの系列にはなるのでしょうが、そういう言い方で括ってしまってよいものではないように思います。

石牟礼さんもレイチェル・カーソンも、近代化がもたらした公害問題をきっかけに思考を深化させたことは共通でしょうが、その先に見出したもの、近代が破壊した世界として見出したものは、ずいぶんと違った風景であったと見えます。西欧的ステロタイプが描く自然の美しさは、たとえばリビングの壁にピン留めされた絵ハガキの中にある森林や草原の風景のように、どことなく薄っぺらで現実性を欠いたようなイメージに収斂するように思います。世界のあり様に対する感受性、そして人間のあり様を見る認識力、その感性の深さにおいて石牟礼さんが凌駕していることはあきらかだと思います。


※『 』内は引用文。こども向けの原著にあるルビは適宜省略しました。
※塘(トウ・つつみ)をトモと読むのは、肥後あたりの方言のようです。


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