見出し画像

「発達支援コラム 心育て 『よいこってなんだろう』」

私が、20年ほど前、

クラス担任をしていたころ、

引っ込み思案の男の子がいて、

いつも気にかけていました。

毎日、ちょこっとしゃべりにいく。


ある日、彼にあだ名を

なんとなくつけました。


『よっしー』


それが彼にはすごく嬉しかったようで

その気持ちが伝染したのか、

同じ班の子が

『よっしー⭐️』と言うので

ものすごく嬉しそうにしていました。


ある日、彼は、

画用紙の裏に


『よっしー』


と自分で名前を書きました。


『おおっ♡それいーねぇ。』


すると、よっしーは


『あはははは♪』


と笑って、


それにつられて、

同じ班の子がなぜか


『わはははは♪』


と笑い始めて

(よくこういう現象が起こる

明るく愉快なクラスでした♪)


クラス全体が

何か面白いこと始まった❓❗️と

わくわくしだして


『どうしたん?』


と集まってきて、

『よっしーがよっしーってかいてん。


先生がいいねぇ♡やってー』


言いだして、


『ほんまやー♡』


『よっしー♪』

いいねが連鎖されて、

わいわいよっしーが囲まれました。


それから、よっしーくん。

クラスで、すごく明るく、

発信する子になりました✨


後日談として、

よっしーのお母様から、

『先生、うちの子にあだ名つけてくださって

ありがとうございました。』

と言われて

若かったし、

いらんことしたかぁぁワタシ❗️

とビビってしまい一言目は

『すみませんでした❗️❗️』でした笑


でも、お母様、

よっしーが明るくなったこと。

友だちの話をおうちでも

たくさんするようになったこと。

ヨッシー(マリオの)をみつけると

買ってというようになったこと。

たしかに、持ち物でヨッシーが

増えてました。

買ってくださっていた♡


たくさん嬉しいエピソードを

聞かせてくださったので、

すぐに気持ちがほどけました。


よっしーが変わったよって話を

したいわけではなく、

こどもの分岐点は

大人がポインターになることがある

という話です。


私がしたのは、

ただ、承認した。

よっしーの発信を受け取って

いいね♡と言った、

それだけです。


もし、

『お名前はあだ名で書かないでね。

フルネームで書いてね。』

とよっしーのドキドキの発信を

頭から否定していたら

少し結果は違ったのかもしれません。


『みんな同じ』を求めるときの

先生としての対応は

訂正させることが正解で、

私の対応は間違っているかもしれません。

けれど、人と人して関わる上では、

正解はそれぞれでいいと思うんです。

100人いてれば100通り。


だから、『先生』というより、

『組織のひとり』としては

横並びからズレるので

私はよく叱られてました。

黙認してもらってたことも

多い気がしますが。笑


こどもの分岐点、

『良い子』って本質の話だなぁと

思うんです。


ひとつは

パーソナルとして『良い子』

あの人いいひとだなぁ。

器大きいなぁ。

神かと思う。

人間力に近い感覚です。


もうひとつは

大人の都合に『良い』子。

大人にとって『楽な良い』子。

(いわゆる手のかからない子)

子(個)が含まれてない、

主語が大人にかかっている『良い』子です。


と言うことは、

その反対は悪い子になります。


授業中うるさい、立ち歩く

宿題ださない

すぐ友だちと喧嘩する

忘れ物多い

勉強ができない

暴言をはく

いたずらがすぎる


たいてい、doing。

の行動面で、ダメ出しが起こる『子』

パーソナルとは関係ないところです。


先程のよっしーくんも、

あだ名で書くのは

みんなと違うことをすると言う意味では

ダメ出し対象になるでしょう。


本当、小さな話です。


名前は持ち物が誰のものかわかるために

書くのであって、

共通の認識で誰のものかわかるならば

ええやん。と思います。

でも、注意されるんです。

みんなと同じが目的だから。


でも、私はみんなと同じではなく

物事の本質を大切にしたいと

常日頃、心がけています。


本質、例えばよくある相談で

漢字の宿題が出て、

『はねがあまい。』

『留めができていない。』

担任の先生、

丁寧に見てくださるのは有難いけれど

訂正が多すぎて宿題自体を嫌がります。

どうしたらいいですか。

おうちでの毎日の戦いを思うと

切実さが伺えます。


きっと『漢字』を覚えようの

宿題の目的、意図、本質は

達成されないんじゃないかなと感じます。

嫌な時間に覚えられる気がしません。

それでは書くだけの作業です。

そして宿題の目的、

おうちでの学習習慣も嫌になっている。

目的、本質のズレです。


『そこまで丁寧に字を書くのは、

書道の時間だけでええよ。

書道家にしたいなら別やけど。』

と答えます。

書道家が目的なら

はねも留めも大切でしょう。


こういう本質からズレた

なぜやるのか理由がわからない

細かいダメ出し

をされると

本人だけでなく、

クラスで見ている子にも、

大きな悪影響をおよぼして

公開処刑のようになることが多い。

……気がします。


『〇〇くん、今日も宿題忘れて

先生に怒られてダメなやつだな!』


『〇〇ちゃん、ひとりでいてみんなと

遊ばない暗い子だな。』


みんな一緒で心強いこと、楽しいこと、

喜びを分かち合えることもあれば、

対応によっては

反対に追い詰めることもありますね。


ダメにフォーカスが当たって

レッテルがはられてしまう。


人のミスを責める子に

重箱の隅をつつく子に育てたい❗️


まぁめったにそんな人はいないでしょう。


『人に優しく』

『友だちに優しく』

『親切にしましょう』

いうわりに……反対のことが

起こってること多いんじゃないかなぁ

と思います。


『何か理由がある』のかもしれない

の思考ってコントラストを知るためにも

すごく重要で、

本人を救う、止まり木の役割だけでなく、

周りの子どもたちも一緒に育ちます。


字が上手く書けない子に

『もっときれいに書きましょう』という

抽象的なことで否定するのではなく

『一生懸命書いたね』

『大きく書けたね』

『味があるね』

『【う】の文字、大人が書いたみたい』

その子の素敵さに共感できることを

そのまま伝えれば

(から褒めは伝わるのでだめよ。)

本人の自信を育てるだけでなく、

周りの子どもたちも人に対して

人の良いところを見る思考になります。


さて、

人のダメ出しする人と

人の良さを伝えてくれる人と

どちらと付き合いたいですか❓


職場や趣味の場、ママ友、

どちらと人間関係を築きたいですか❓


単純明快な話ですね。


こどもだけでなく、

大人も同じで

行動のdoingだけ認めるのではなく、

存在価値のbeingをいいね♡すると

自然と元々持っている良さが

表面化します。


行動のdoingは訂正してもいいけれど

存在価値のbeingは否定しないをすると

自然とその人らしさの自信につながります。


最近、この手の相談が

非常に多くて、

失礼ながら、ありのまま書くと

学校の先生が怒りまくっているという話を

あちこちでよくお聞きします。あらま。

直接私は見ておりませんので

なんともいえませんが

今年、1月過ぎてからだけでも

片手でたりません。

急上昇です。


そして、そのお話の最中に、

反応する子どもの様子を

リアルにみることもあります。


『〇〇が宿題忘れるから怒られるねん』

『授業中に立つ〇〇が悪いから先生怒るねん』

『こないだは、どうして宿題してこないねんって

校長先生と教頭先生にも怒られてんで!』


どうやら、人が怒られているところをみて

自分も怖くてネガティブな影響を受けて

凹む子、怒る子、タイプはありますが、

表現したいご様子。


おともだちなど、他の人が

怒られていることを平気であったり、

ましてや加担する人にはなって

ほしくないですし、

また、自分は怒られなかったと

そこに優越感を持つ人にも

ならないでほしいと

心から願います。


悲しめる人になってほしい。

心配する人になってほしい。というような

綺麗事は言いませんし、思いません。

それはそれぞれなので。


ただ、自分なりの優しさで判断が

できる人になって欲しいなぁとは思います。


いじめは、こんなダークな気持ちから

起こるのかもしれませんね。


話はもどって、お子さんの様子をみて

困り顔のお母様に

『心中お察します』と苦笑いになります。


固定観念のない子どもたちから

自然と発信される言葉ではなくて、

きっと大人を見たり聞いたりしていることを

真似ているだけだろうなぁと感じます。

その真似ている子を見てまねるとかの

連鎖もありそうですが。

こんな時、『あぁ、お手本って大切』と

痛感します。

止まり木はなかったのかなとも。


そこで、私が、

『そのお友達も、宿題してこない理由とか

あるんかなぁ?なんか知ってる?』

と聞くと

『あるんかもなぁ。夜寝るもの遅いらしいわ』

とおだやかなテンションに戻ったりします。

話し方がいつもの素の状態にもどった。

そんな時、それでいいんだよと思います。


人を責める人と、

思いやりのある人、

どちらに育ってほしいでしょうか?

大人の考え方や行動にも

大きく左右されているのでは

ないでしょうか。


色々なことが起こるのは必然だし

起きたことは仕方ない。

良いも経験。

苦いこともそれも経験。

ですが、

それを元に

『じゃあどうする?』

『どうなりたい?』

と思考して

本質の提案ができるのは、

本質に気づくあなたにしかできないのかも。


しれません♡

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?