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駄目な人間を許してくれる落語という芸能。

ほとんど外出しなかったGW。
楽しくなかった訳ではない。むしろ相当量の本を読めた。そして何よりいい機会だったのが、100本以上の落語を見たということ。これまでは特定の噺家の古典をたまに見る程度だったけど、今回は今が旬の落語を飽きるほど見た。とてつもなく面白いのだ。長い歴史の中でストーリーテリングが綿々と語り継がれている古典性に惹かれた。歳を取ったせいもあるかもしれないが,古人の知恵や暮らしぶりを感じとることができたのは、とても意味のあることだ。

談春、昇太、喬太郎、市馬、今の落語界は才能の宝庫だとつくづく実感する。志ん朝、談志が亡くなった時の喪失感は完全に払拭された。むしろ、重石が外れたことで,小朝や昇太のプロデュース能力、談春の文学的才能、志らくの先鋭性が花開いた。今の落語界は才能の塊が群雄割拠した状況だと思う。

中でも春風亭一之輔の落語は出色だ。彼の「初天神」は今の落語を好きになるか否か、一つの物差しになると思う。彼の作風は、古典落語に現代の流行や風刺を加える手法。彼の自然体を思わせる落語は猛烈に魅惑的。

そんなライフスタイルだったので,この本を同時並行に読んだ。あまりにも面白くて、3回読み返している。志ん朝亡き後の落語界の20年の歴史を描いている。巨星が堕ちた後、燻ってた中堅がセルフプロデュースする。過去の古典には拘らず新作を次々と発表する。恐れを知らない二つ目達が芸を磨き真打ちにゴボウ抜きで昇進する。その過程が詳細に描写されており、落語家の競争性と同時に共存を目指したコミュニティ意識も知ることができた。この本と出会えたのは、大きな収穫。

ということで、今日も落語を聞いている。春風亭昇太の「二番煎じ」に、柳家喬太郎の「時そば」、あ、「コロッケそば」と言ったほうがいいか。コロナが終息したら、寄席に行きたい。一日中浅草と上野を徘徊して、酒を飲みダメ人間になりたい。立川談志の名言に、落語は人間の業だ、という言葉がある。落語はダメな人間がワンサと出てくる。そしてそのダメな彼らを愛でて許す人間が必ず出てくる。ある意味、極めてレアな大衆芸能だと思う。ダメだなあと思ったら、落語を見る。結構な癒し効果があるかもしれない笑

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