【子どもの発達】保育園の先生から「他の子と比べて○○ができてない」と言われて落ち込んだ話
はじめに
みなさん、こんにちは。この記事では、保育園の先生からの指摘を受けて母親が落ち込み、自分の気持ちを整理するそんな内容を綴っています。もしも同じように悩むお母さんがいれば、ぜひ気軽にお読みいただき、共感やヒントを見つけてくだされば嬉しいです。子育ては冒険の連続ですが、一緒に笑顔で乗り越えていきましょう。
先生からの指摘に揺れる心
私の息子は今月2月に4歳になりました。現在年少さんで、4月からは年中クラスに進級する予定です。そんな中、先日、息子の担任の先生から心を揺さぶられる指摘がありました。
具体的には、「お絵描き」や「粘土遊び」において、周りの子供たちと比べて息子が圧倒的にできていないとのことでした。例えば、線を一本引くだけで「これは新幹線だよ」と言って楽しむ一方で、基本的な形や表現方法に取り組むことが難しい様子。年少クラスの1年間で他の子供たちとの差が開いてきたことが心配だと先生に言われ、私たち親にとっても心配の種となりました。
この指摘を受け真っ先に感じたのは、日々の忙しさを理由に、本人が自発的に取り組むこと以外の環境設定が不足していたことへの反省でした。息子は電車のおもちゃに夢中で、机に向かってお絵描きや制作するような遊びにはあまり興味を示していませんでした。そして興味を示さないことから年齢に応じた道具も揃っていない。これではますます興味も湧きません。
ただ、彼が今楽しんでいるのは電車遊びやごっこ遊び。そして、お絵描きや粘土遊びに対してはあまり興味を持っていないようです。こうした中で、無理やりにでもお絵描きを練習させるべきなのかという疑問も湧き上がります。彼のペースや好みを尊重しつつ、どのように促していくか考える必要があります。
息子の発達ペースと個性
息子の発達スピードは一般的な子供と比べると少しゆっくりめでした。歩き始めもオムツが取れるのも遅く、正直なところ親として少し不安を感じることもありました。ただし、年齢相応から圧倒的に外れることはなく、息子はそれらが突然できるようになるのです。あっという間に他の子供たちに追いついていく様子には驚かされる日々です。
手先が不器用という特徴も感じられ、スプーンの持ち方がなかなか改善されず、細かい作業が苦手な一面もあります。たとえば、何かを描こうとすると途中で投げ出してしまうことがしばしば。こうした行動から手先の発達が他の子供たちよりも遅れていることがうかがえます。
私自身もお絵描きや粘土遊びなどの創作は子供の頃から苦手で、進んでやりたがらない気持ちも理解できます。もしかすると、息子も同じような気持ちを抱えているのかもしれません。
本当は彼のペースで成長していくのを見守っていくしかないのでしょう。無理強いせず、個性を尊重し、少しずつでも前進できるようにサポートしていくことが親としての役割なんだと思います。
それを分かっていながら…ついつい私は情報検索をしてしまうのです。
情報検索と不安の増幅
「4歳 お絵描きできない 発達障がい」
というワードで検索してみました。
すると出てくる出てくる。不安材料が次々と浮かび上がってきました。
何歳までにこれができないといけないとか、発達障がいの兆候として挙げられる項目に息子が当てはまるかもしれないという恐れが募ります。
何歳までに何ができるべきか、それを決めつけられることの恐ろしさに直面しました。子供の発達は一概に年齢で測ることができないはずなのに、外部の期待や規定に押し込められるような感覚に襲われました。
情報検索をすることで、親はとにかく不安になりがちです。ただし、現代は情報過多な世の中であり、情報の取捨選択が重要です。ある情報が適切なのか、それとも過剰な恐れを抱かせるものなのか、見極めることが必要不可欠です。ちなみに、最近の世界の教育ではその情報が信用に値するものなのかを分析する能力の向上にとても力を入れているそうです。確かにこの力、生きていくためには必須のスキルになりそうです。
検索を進めるにつれ、ますます不安が募りました。悩みが深まる一方で、普段は絶対にしなかったであろう声掛けをしてしまう…。
「息子くん、顔描いてみて?」
「丸の中に丸を描くのよ?」
息子はそんな私の様子を察知し、
「息子くん、描かない!先生が上手って言ったもん。」
「先生にプラレールばっかり遊んでるの?って言われた。だって好きだもん。」
と言うように。さすが4歳、母がなんか不安になっているのを感じ取ってます。
冷静な判断を欠くことで、明らかに余計な声掛けをしてしまいました。情報に振り回されず、冷静な視点を保ちつつ、必要な情報だけを取り入れることが重要だと痛感しました。
子供の個性と比較の罠
子供たちは一人一人が異なる個性を持っています。それぞれが独自の道を歩む中で、他の子供と比較することが良い結果を生むことは滅多にありません。それなのに、なぜか私は周りの子供たちや兄妹同士で比較してしまうことがあります。
特に、子供ができていない部分を他の子供に比べて気にし、それをどうにかして改善させたくなる自分がいます。これは、私が日本で教育を受けてきた経験が影響しているのかもしれません。日本の教育文化では、何事も平均点を取ることが理想視されがちで、これが子供の発達に対する期待を高めてしまう原因の一つかもしれません。大学まで優等生できた私はいつも無難と言われる選択をしてきました。大人たちに褒められる道を選んできました。でもこれからの人生、今までのような生き方で生きていけるのか疑問を感じています。
これからの社会は全員が同じ型にハマるべきではない時代に突入しています。子供たちが異なる才能や興味を追求し、多様性を尊重する社会が求められています。子供の悪いところを補うのではなく、彼らが持っている良いところを伸ばすサポートが、真に価値のある教育の方針であると確信しています。
親の願いと現実との向き合い方
私たちは親として、子供たちが幸せな人生を歩んでほしいと切に願っています。
出産の瞬間、「元気でいてくれればそれでいい」と思っていたはずなのに、子供の成長と共に優秀でいてほしいという欲望が芽生えてしまったことを実感します。この変化は、親の期待と社会の価値観の影響が重なり、「私は随分贅沢になったものだ」と感じます。
優秀さの定義が揺らぐ中、これからの学校教育において、優等生であることが必要なくなる傾向があります。しかし、親としてはなんだかんだで子供の成績や進路の悩みがついてまわるはず。親が悩んだところで子供の人生を親が変えることはできないにも関わらず。
お絵描きができない程度の指摘で、これほど心を揺さぶられ、不安に陥る自分がいます。これからもっともっと深刻な問題に立ち向かうことができるのか、その不安が私を包み込みます。今回の出来事で問題なのは、「子供にできないことがある」という問題ではなく、「親である私が心を揺さぶられて落ち込んでしまっていること」だと感じるのです。
意識の問題への対応策
親としての不安や心の揺れを受け止めるために、いくつかの対応策を実践しました。
1. 感情の整理
まず、不安や心配な気持ちをiPhoneメモにアウトプットしまくりました。文字にして吐き出すことで、気持ちが整理されることがあり、冷静な判断ができるようになりました。
2. 情報選別の工夫
新たな情報検索はほどほどにし、これまで貯めていた自分が真似したい子育て情報メモを読み返しました。情報過多からくる不安を抑えつつ、自身の信じる子育ての方針を再確認しました。
3. パートナーシップの重要性
子育てのパートナーである夫とこのことについて話し合いました。お互いの考えや感情を共有し、共に解決策を模索することで、支え合う大切さを再認識しました。
4. コミュニケーションの徹底
整理した思いを連絡帳に書き、子供の担任の先生とも思いを共有しました。オープンで率直なコミュニケーションが、信頼関係を築く助けになりました。
5. 自己変革への意識
子供を変えようとするのではなく、自分が変えられる部分について深く考えました。親としての意識や行動を見つめ直し、子供との関わり方に柔軟性を持つよう心がけました。
これらの対応策を通じて、自分の意識の問題に向き合い、ポジティブな方向に進む助けになったと感じています。そして最終的にこうやってnoteにまとめることも私の中の不安と向き合う上で重要な役割を担ってくれていると思います。
頭の片隅に置いておくべき発達障がいの懸念
これまで綴ってきた子供のいいところを伸ばすサポートは重要ですが、それでも私は発達障がいの懸念を常に頭においています。もしも発達の遅れが今後息子の生活のしづらさに繋がるのならば、適切な対処をしてあげたいと考えています。そのためには、現実から目を逸らさず頭の隅にその可能性を置いておく必要があります。
息子の発達特性の中で、今後発達障がいに繋がるとしたら、「自閉症傾向」だと感じます。感覚過敏、好きなことへの熱中、手先の不器用さ、こだわり強さ、新しいことへの拒否を感じることがあるのです。ただし、4歳の時点では明確な自閉症傾向とまでは言えません。少し発達のスピードが遅めでも、許容範囲内でできるべきことはできていると思います。ただ、この特性を理解しサポートしてあげる必要があると感じます。
4歳の時点では普通に限りなく近いけれど、これからの成長過程で生きづらさを感じる可能性がある。その時、自分の子育てに後悔がないよう生活の中に余白を作りながら向き合っていきたいと思います。将来の不確定な状況に向け、柔軟なサポートが必要であると感じています。
おわりに
親としての喜びや悩み、子供の成長に対する期待と不安。今回のことで様々な感情と向き合いました。子供の個性を尊重し、比較から解放される大切さ、そして親の意識や発達に対する懸念について考える機会となりました。
子供にできないことがあることは、それ自体が問題ではなく、親としての自分がどう向き合うかが重要なのだと感じます。過度な情報検索や比較、子供を変えようとする焦りよりも、感情の整理やパートナーシップの大切さ、自分の変革に意識を向けることが、より良い子育てへの鍵であることを学びました。
また、発達に関する懸念も頭にありますが、子供の個性を理解しサポートすることが子供の成長の助けになると信じています。私の母としての成長の旅はまだ続きますが、これからも柔軟で愛に満ちたサポートを提供し、親としての喜びを大切にしていきます。
落ち込んだその後↓
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?