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えっ、これのどこに驚く要素があるの?

 新聞で週刊誌の見出し記事を見ると、

えっ、

これのどこがスクープなんだ?

というものが多い気がするのは私だけなのだろか?

 例えば、最近テレビで
『劇場版 鬼滅の刃 無限列車編』がテレビで放送された。
そのすぐあたりにキャラクターの声を担当する男性声優が
お子さんを抱っこしてチャリンコで散歩していた写真が
某週刊女性誌でスクープされた。

 ここからは、あくまでも個人的な意見だが
なぜ、声優が子育てして結婚していたくらいで
こんなにも騒がれるんだ?と不思議でならない。

そりゃぁー、人間ですし

結婚して子供が生まれれば

育児もするでしょ

と言いたい。

 確かに、昭和の時代のアイドルは
生活感が見えてはいけないという
業界の暗黙の了解的なものはある。
現に、「あの人は今的な番組」があり
同じ世代のグループメンバーが同窓会的な感じでゲスト出演すると
暴露されるのもよくある話だ。

 さらに、キャンディーズの後楽園球場での解散コンサートでは

「私たち、普通の女の子に戻ります」


と宣言したり

都はるみがかつて紅白歌合戦で一度歌手を引退する際に

「普通のおばさんになります」

と、1つのけじめ的な儀式で言うことが彼らの普通であった。


 まだまだ、その時代の名残なのだろうか?

「いやいや、すでに時代は令和のはずだが…」


なのに、

「子育てする男性が珍しい。」

とか

「声優なのに結婚していた」

おいおい

「なのにとはなんだ、余計なお世話だろう…」

とひと様の事だが感じてしまうのは私だけなのだろうか‥‥

そのような趣旨でのスクープだったら
どれだけ時代錯誤なんだか。
と、そこに違和感を感じた。

逆に、違和感を感じないとは
どれだけ子育ては女性がやるべきものという
暗黙の了解的なムードがはびこっているのか?

ともとれる。

 特にコロナになってからは私が住むご近所でも
スーパーや図書館などで若いパパが子どもを連れて
きている姿をよく見かける。

時々だがドラックストアで

「子どものオムツのサイズが分からない」

とか

「どのメーカーを使用しているのかが分からない?」

などの会話を自宅にいる妻にスマホで聞いているパパの姿も目にするようになった。

マッキー(槇原敬之氏)の名曲
『もう恋なんてしない』の
歌詞に出てくる主人公の男性が
彼女に出て行かれて
『紅茶のありかがわからない』の感覚みたいで
ほっこりする光景だ。

男性声優自身はファンへの心遣いから
お騒がせして申し訳ないということであったが、

「別に人間として当たり前の事している訳だし謝ることないんじゃない」

と言いたいし

そう言わせる社会は
どうなのかともやもやしてしまった。


そう思うのは私だけなのだろうか…



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