【感想25】ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー

 フェーズ4の締めくくりとして、かなりふさわしいと思う。

国王ティ・チャラを失い、悲しみに包まれるワカンダ。先代の王ティ・チャカの妻であり、ティ・チャラの母でもあるラモンダが玉座に座り、悲しみを乗り越えて新たな一歩を踏み出そうとしていた。そんな大きな岐路に立たされたワカンダに、新たな脅威が迫っていた。

映画.com『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』より


見る前に見てほしい話

 チャドウィック・ボーズマンが亡くなったことを受けて、ティチャラに対して代役を立てずに真摯に向き合って出来上がった一作。
作中でもティチャラが亡くなり、それを受けたワカンダの国民たちはどう進んでいくのか?というのが大筋で、2時間48分間この筋一本でやっていく。

 エンドゲームでのトニーやスティーブとは違い、役者が亡くなった、しかも黒人の歴史に対してかなり強い印象を打ち付けたブラックパンサーの役者。
日本にいる分にはあまりこの側面については差別の歴史に疎いのもあって他人事感は否めないけれど、作品そのものや当のアメリカでの評価の高さでも本当に惜しい人を亡くしたことになる。
俺たち20代半ばのテレビっ子にとっては志村けんさんが亡くなった時のショックと同じかそれを上回るようなもんだと思うと近いのかもしれない。

 そんな人に対して、徹頭徹尾敬意を払った2時間48分の超大作になってる。


良かったところ

 いないはずのティチャラが主人公だと錯覚するようなぐらい、話の中軸にガッツリ絡んでくる。
妹のシュリが王女というのもあってメインで登場はするけれど、それでもサブ主人公ぐらいの立ち回りのように感じられるぐらい影のティチャラの存在を感じ取れる。

 そういった部分もあるので、アイアンハート(リリ)もあまり強く主張しない出方をしてる。
出る意味ある?に対する答えとしては”シュリと共通項が多いから”で、横のつながりを作れているのは後のことを考えるといい塩梅だなとも思った。
バックボーンは本当に薄いというかほぼないんだけれど、本筋を濁さずにやるって意味では変に邪魔をしない分良いのかなとも思える感じ。

 もう一つ、敵対することになるタロカンとの対比で描かれる差が結構残酷になる。
ワカンダもタロカンも同じく”自国の民を傷つけたから”という理由で怒りをぶつけるように戦争を仕掛けていくので、本当に最後の最後にならないとどちらも大差ない争いに見える。
タロカンの王のネイモアも態度や発言の節々から”武力があるから生まれる”余裕の見せ方をしてくるし、シュリは家族を短期間で2人失った怒りや力の継承で出会った人物の影響で怒りを制御しきれていないのでどちらも好感度としてはあまり良い方向にはなってない。

 フェーズ4以降の時代でよく見る、懲悪勧善モノのような振り切った善悪ではないことはわかるんだけれど、本当に寸前までどちらに転んでもおかしくないぐらい危ういバランスのままワカンダ陣営が突き進んでいくのは喪失や癒しをテーマにされている(っぽい)フェーズ4の締めくくりとして相応しい危うさになっていると思う。

良くはなかったところ

 唯一、シュリがネイモアへトドメを指す寸前のシーンのカタルシスが足りないな~~て気持ち。これだけは欲しかった。
本当にあと少しでも動かせば首を刎ねる所まで踏み切ってしまったシュリをギリギリで留めたのが何か?というのが案外あっさりと、あまり訴えてくるような主張性ある衝撃でもないのが本当に惜しい。

 この寸前まで行ってしまうのは継承で会った人物の影響も考えると納得いくしヒーローになりきれない姿という意味でも良いとは思うけれど、ここまで来て最後の最後でやっと止まる理由がちょっとでも弱いとやっぱり後味良くはないので、ここはティチャラブーストを使ってでも感情に訴える作りにしてほしかった。

 あとこの映画自体に言えるんだけれど、存在自体が小規模なエンドゲーム化しているのはちょっと勧めづらいなとも思う。
個人的にエンドゲームの評価は「シリーズをすべて追ってくれたファンと主演組のためのサービス映画」なんだけれど、この映画も似た要素は十分持っている。
やっぱりチャドウィック・ボーズマンに対する思い入れがないと入り込めない作りが前提であるし、邦画の宣伝風に言えば”今年イチ、エモい映画”ってやつにされるのは仕方ないんだと思う。

 だから故人に対するスタンス、もういない人のことはどうでもいいとか、冷笑系のような人にはかなり悪い方で下駄を履いた見方をされるのは必至なのでこの点は飲んでおかないといけない。


総括

 いままでじっくりと失った人が前へ進んだり、癒されるような結末を迎えることが多かったフェーズ4のトリに相応しい武器を持った映画になってる。
確かにアベンジャーズシリーズとはバリューは劣る感じはあるけれど、歴史を考えると劣るというには早計なのかもしれない。

 ティチャラという高潔さでヒーローとしてこれ以上ないぐらい相応しい姿を見せていたのが、今作でさらに強調されていたのが印象深い。
最後の一手以外、本当に対比どころかミラーリングされているようなワカンダとタロカンの二国の争いは絶対的ヒーローの不在をより強く見せているし、そこまでに至る過程が丁寧に描かれるので2時間48分の間ずっと話にのめり込むぐらい引き込まれてしまった。

 ヴィランの位置づけにいるネイモアもキルモンガーみたいに、ヒーローとして道を進んでいてもおかしくはないけれど一見正しそうに見えて実際は歪な性格なのがヴィランたる理由、と感じる絶妙な匙加減のキャラクターもこの映画に彩を与えている。

 アメコミあるあるだった序盤の暗いシーンの戦闘ばっかだったり、ミュータントだからの一点突破でネイモアの見た目の説明を片付ける特撮によくあるパワープレイっぽい所や、汎用性と破壊力がトップだった水爆弾なんかの変な笑い所もあってちょっと実家のような安心感を覚えられるのもいいところ。

 この映画自体、シビルウォーとブラックパンサー1作目で描いた内容をもう一回問い直すという、シリーズ3作目のような内容なのも凄く感傷的になります。
上記の「エンドゲームのようにエモを提供する」テイストなのは否めないんだけれど、それを程よく享受できるぐらい楽しめる経験の積み方をしてこれたのはよかったなと思う。

 実はシビルウォーがMCUで初めて見た映画で、その中でオリジンが描かれたブラックパンサーへの思い入れも少しはあるので、そこを踏まえて色眼鏡かかってそうな部分を除いて読んでくれるのが一番ありがたい気がする。

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