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京都に住むことにした。

京都に移住して1年が経った。

生まれも育ちも関東なので、
「引越します。行き先は京都です。」
と周囲に伝えたとき、
「え、なんで京都?」
と怪訝な顔をされ、その理由を聞かれまくった。

そりゃそうだ。私が逆の立場でもそう思っただろう。

ただ、そんな中でもわりと親しい友だちは皆一様に
「やっぱりね」
「やっとか」
「いよいよ行くのね」
という言葉を返してくれたので、
理解してもらえていることがなんだか嬉しかった。

自分が大切だと思っている人たちが、自分の思いを理解してくれている(または理解しようとしてくれている)ことに安堵したし、はっきり言ってそれ以外の人の反応なんてどうでも良かったのだけれど、「どうして?」と聞かれると、なんとなく、ちゃんと説明しなきゃいけないかな…という気になってしまう。

でも、「本当の理由」を話してもきっと虚しいだけだろうから、

 あ、ほら、オットも関西人ですし・・・
 コロナになって、ひょいひょい京都行けなくなってしまったので、
 いっそのこと住んでしまえー!と思ったんですよ〜

・・・みたいな、ざっくりしたよくわからない理由をくっつけてやり過ごしたりしていた。

人生の半分以上を過ごした関東から、還暦目前の50代後半で、文化も言葉も違う、なにより一度も住んだことがない関西へ引越すのだ。
はたから見たら、そりゃ〜「え?」だったことだろう。
だから、このざっくりした理由を話しても、みんな「え。それだけのことで?」と言わんばかりの、腑に落ちない顔をしていた。

実際、本当の理由は別にあった。
でもそれは、よほど親しい人にしか話さなかった。
それまで自分が生きてきた人生が、価値観が、見ていたもの全てが、180度グルッと回転したみたいな出来ごと。ただただ、悲しいできごと。

まだ、心の整理がついていないので簡単に書けないけれど、とにかくここから離れなければ!と思うようなことがあって、動き、決断し、移住したのだった。


引越し先は京都になったが、特に衝動的に決めたわけではなかった。
ずっと賃貸暮らしだった私たちは、10年以上の長い時間をかけて住宅購入に向けて色々な物件を検索していて(もちろんそのときは引越し先を関東中心で考えていたのだが)何百件と検索&問合せをし、何十件と内見していたので、住宅に関する知識だけはやたら豊富になっていた。
だから、いざ!というときに行動も決断も早かったのかもしれない。

でも、はたから見たらそれは「衝動買い」に近いように思えたかな。

きっかけは「悲しい出来事に突き動かされた」だったけど、実際に住む家を決めた経緯というか、感覚、タイミングが、どれをとっても「あれは不思議な縁だったな」と思えることや「奇跡的だったかも」など、偶然なんだか必然なんだか、とにかく見えない力に導かれるようにあれよあれよと京都に住むことになっていた。

そのせいか、今でもまだ足元がふわふわしている。
一年経ったのに、まだ京都にいるという実感が無いのだ。

30年以上、何度も何度も旅行で来ていた場所だし、仕事で京都の特集に関わったりしていたので、なんだかその延長のような感じ、というのが近いかな。

仕事で引越しをしたわけではないので(夫婦ともフリーランスで自宅が仕事場)圧倒的に人に会う機会が少ない私たちにとって、関東にいたときと生活リズムはほとんど変わっていない。

ただ「ドアを開けたらそこは京都だった」というだけ。

でも、それだけでも楽しい。
ふわふわ、地に足ついてないけど楽しんでいる。
今では「きっかけ」となったあの悲しい出来事に感謝したいくらいだ。



まだまだ知らないだらけの京都。
ゆっくり過ごしながら、思ったことをツラツラ書いていきたい。
もちろん京都のことばかりではなく、日常的に思ったことも。






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