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フードバンク活動・子ども食堂盛況の時代にあって考えたこと

フードバンク活動が各所で支持され、また「子ども食堂」が盛況らしいと聞いています。こんな日本の状況は、私が子どもおよびティーンであった30年~40年前にはまず予測できなかったはずです。

そうした状況を踏まえて、最近私は、「衣食住そして教育は、市場原理に任せていてはよくない」と考えるようになりました。

私は若い頃、親や学校などの教育者から、いわゆるハラスメント的な教育を受け続けてきました(おそらく、今の40代~60代の人は、このような教育スタイルを受けてきたと思いますが)。

ハラスメント的な教育の最大の問題は、「おまえの周りの人間は全員敵であり、たたき落とす対象であり、周りの人間をたたき落としてこそ、おまえの生命の安全は確保できる」といったような教えを含んでいることです。言い換えれば、競争心と恐怖を植え付けるところに問題があります。

少し転じた話題を出します。私は20年ほど瞑想に取り組んでいるのですが、瞑想は「メタ認知」と呼ばれる自己を客観視し統御する能力を活性化させます。私はこの瞑想を続けてきた結果、自分の意識内に「他人に負けたら死、劣っている人間は生き残っていけない」という恐怖心が強く植え付けられていることを発見しました。これはまさに、競争原理を基底においた資本主義的な考え方の象徴ではないでしょうか。

あらためて私自身を振り返ると、このような思考スタイルが心の奥底に植え付けられてきた人生において、何か良きものを得られたのかというと、ほとんど何も得ていません。

もちろん、人同士・組織同士の切磋琢磨はあっていいと思います。また、財産に関する自由もあっていいと思っています。要するに、自分がどう稼ぎたいのか、どれくらい稼ぎたいのか、それによって得た稼ぎをどう使いたいのか、それは個人の勝手であるということです。

しかし、もし、衣食住そして教育という、基本的な人権を確保するうえで必要な財が、競争原理に起因した構造で十分に行き渡らないという状況が我々の社会に存在していたとしたら――ここ日本ではすでに存在するようですが――、もはやそこは21世紀における先進的国家とは言いにくいのではないでしょうか。

一筋縄ではいかないテーマではありますが、世の中をみるとこうした競争原理のなかでバランスをとろうとする動きの萌芽があります。メディアにかかわる人間として、こうした萌芽を拾い上げていこうと考えています。

なお、瞑想についてはこちらもぜひご覧ください。私が主催するプロジェクト「Active Rest」のご紹介ページです。

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