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まちづくりとデザイン | つながりつながる連続講座 | Vol.3

「つながりつながる連続講座」はSOCIAL WORKERS LAB(以下、SWLAB)が主催する全4回の連続講座です。SWLABの活動で生まれてきたつながりが、これからへとつながることで「つながりつながる関係」をつくりたいと考えています。第3回目のゲストは株式会社グランドレベル代表取締役社長の田中元子さん。1階づくりを起点としたまちづくりに取り組まれている田中さんにSWLABディレクターの今津新之助がお話を伺います。

田中 元子(たなか もとこ)
株式会社グランドレベル 代表取締役社⻑

1975年、茨城県生まれ。ライター・建築コミュニケーターとして活躍後、「1階づくりはまちづくり」をモットーに株式会社グランドレベルを設⽴。エリア価値と住⺠幸福度の向上に取り組む。2018年、東京都墨⽥区に洗濯機やミシン・アイロンなどを備えた、まちの家事室付きの喫茶店「喫茶ランドリー」をオープン。属性を問わず、多様な住⺠が能動的に集まる公共空間のモデルとして注⽬を集める。

理想の景色とマイパブリック

今津:こんにちは。SWLABディレクターの今津です。「つながりつながる連続講座」の第3回は田中元子さんに「まちづくりとデザイン」をテーマにお話をしていきます。2021年1月に開催したオンライントークイベントでも、田中さんには「まちづくりと福祉」について話していただきました。

田中:再び呼んでくださってありがとうございます!私は「1階づくり」を目的にした株式会社グランドレベルという会社と、東京都墨田区にある喫茶ランドリーという喫茶店をやっています。

今日のテーマは「まちづくりとデザイン」ですね。みなさんはどんなまちの景色が好きですか?私にとって理想的なまちの景色とは、ゴッホの『夜のカフェテラス』の絵のような景色です。絵にしておきたいと思うような風景に囲まれて暮らすのと、壁やシャッターに囲まれて暮らすのとでは、人生の長さが同じでもその質がかなり違うと思います。私はひとの姿が見えるまちが豊かだと感じていて、ひとりひとりの能動性が表れるまちの風景をつくりたいと思ってきました。

私は建築や都市デザイン関係のライターとして仕事をしてきました。仕事のなかの私的な遊びとして、神田の遊休地で都会のキャンプ場を企画したり、屋台を開いて無料で珈琲をわたす"フリーコーヒー"をやってみたりしました。ゴッホの絵のように、人の姿が見えるまちの景色をつくるための仕掛けです。これらを取り組みをマイパブリック(手づくりの公共)と呼んでいます。

夜のカフェテラス

田中:そのうちに"公"のつくものを自分でやってみたいと思うようになりました。例えば公園とか公民館とか、私の"手づくり公共"をやるチャンスを待ちました。すると、墨田区の空きビルのオーナーから「うちのビルの1階、空いてるんだけど何をやったらいいか相談させてくれないか?」というお話をいただきました。

「私設公民館をやってみるチャンスかもしれない!」と思いました。このまちはマンションはたくさんあるのに、ひとの姿が見えません。自由で多様なことを許容できるような環境の喫茶店を作ろうと提案しました。

今津:自由で多様なことを許容できる"ひと"を集めて何かするのではなくて、田中さんはそういう"環境"をつくろうとしたのですね。

田中:めざしたのは"うっかり許容しやすくなる環境"です。環境というのは物理的なことだけでなく、サービスやコミュニケーションも含みます。

まちづくりをするのは誰か

田中:私はプロフェッショナルやクリエイターによる"まちづくり"を信じていません。まちの大枠を決める都市計画やリノベーションによる再生、新規事業支援と、まちづくりは別です。まちづくりをするのは"わたし"であり、"あなた"であり、"みんな"です。

「私はなにを大切にしたいか?」「あなたはどんな生き方をしたいのか?」「それを実現できるまちや社会とはどんな姿か?」それを積み上げていくのが"まちづくり"です。ひとりひとりが「こんな風に生きていきたい」と思うことが"まちづくり"なので、もう、みんなが影響を与え合って"まちづくり”しちゃってるんです。

日本人は「慎ましくしなさい」「謙虚こそが美徳」だと言われているせいで、自分が他者に影響を与えている存在だということに向き合うのが苦手です。けど、この世界に影響を与えていない人はいません。病気でひとりぼっちだとしても、その人のことを気にしている人に影響を与えています。なんの影響も与えずに一生を終えることはあり得ません。

喫茶ランドリーとデザイン

喫茶ランドリー森下・両国

田中:2018年に喫茶ランドリーをオープンして、店内もいい感じにゴチャっとしてきたので「なんか実家みたい~!」と言われます。お客さん主催の展示会やワークショップを開催したのは100回以上。いろんなひとが「こんなことやりたい」「これができそうだ」と持ち込んでくれます。喫茶ランドリーが企画したことは1回もありません。

私は喫茶ランドリーを人間がやっている店にしたいと思いました。そう考えるきっかけになった経験をお話します。以前、赤坂あたりにある全国チェーンの喫茶店に入ったときに、お店にスタッフが1人しかいなくて、その子が汗水たらしながら注文を受けて、レジを打って、飲み物を提供していました。洗い物まで手が回らないから、食器の返却棚からお皿やカップが溢れていました。

馴染みの店なら「忙しそう!手伝おうか!?」って言います。けど、全国チェーンの喫茶店では「手伝ってあげたい」という気持ちは押さえて、そのお店の看板やプライドを優先させざるをえなかった。まるで見てないかのように振舞いました。この体験のことが忘れられなくて…。良かれと思った行動を躊躇ちゅうちょするのって、自分自身を生きていないですよね。誰かのために何かしたい気持ちを表出させない環境への違和感が残りました。

至らない部分もたくさんある喫茶ランドリーですが、誰に対しても同じ態度で接する店にはしていません。出会う相手をちゃんと見て、その相手に対して最良の答えを出そうとすると対応がばらけるのは当然です。だって、ひとりひとり違うのだから。それこそが公平なんだと私は解釈しています。スタッフには「不公平な店だと思われることを怖れないで、1人1人に接してほしい」と伝えています。型にはめたような態度で接する店は他にいくらでもあるし、それは人間的ではないでしょう。

人間って多面的な存在です。やさしい人が365日いつでもやさしいわけではないし、意地悪なひとだってチャーミングな面を見せることがあります。ルービックキューブのようにたくさんの面があって、それがコロコロ回って、いろんな面を見せながら影響しあっています。

補助線のデザイン / 生き方のサンプルに触れる

今津:喫茶ランドリーをはじめてから、田中さんの耳に届く周囲の反応はどんなものがありましたか?

田中:「喫茶ランドリーは田中さんだからできたんですよね?」って、言われることもあります。属人的だとか、土着的だとか、一回的なものだとか。けど「それの何が悪いんだろう?サイコーじゃないか!!」って思っています。

喫茶ランドリーのデザインは「凡庸なものにしてほしい」と口を酸っぱくして言いました。私が自分色に染めようと思ったら全く違うデザインになりますが、ここは既視感のあるものにしたかったのです。デザイナーや建築家は目新しくて斬新なものづくりをするように教育されている方もいるので悩んだと思います。質のいい凡庸をデザインすることで、来た人が「なんかみたことある」「私にも使いこなせそうだ」と安心してもらいたかった。

あと、喫茶ランドリーで働いているスタッフの特典として

① 珈琲飲み放題
② 洗濯機まわし放題
③ 子ども連れて来放題

にしています。すると、学校が終わったあと「ただいま~!」とスタッフの子どもが帰ってくるようになりました。いつのまにか、知らない子どもも付いてくるので、夕方には子どもの公民館みたいになっています。これはいいぞと思って見ています。場所でいろんな大人と出会い、いろんな生き方のサンプルを見てほしいです。それは子どもだけでなく、大人も同じです。私は東京に出てきて、田舎では出会えない生き方に触れてに助けられました。うちの店にきていろんなサンプルをみて、何が起きても楽しく生きていける道はあると感じてほしいです。

真っ白な画用紙を前にして、好きなように絵を描ける人は少ないと思います。けど、誰かの書きかけたものや補助線があれば、そこからだったら表現しやすくなります。私は補助線のようなまちのデザインをつくりたいし、みんなの"きっかけ"をつくりたいです。

「むかし、英語を教えていたことがある」とか、ポロっと言ってくれるようなコミュニケーションを目指しています。もし私が「主体的に自由にふるまって!」と言ってしまったらおしまいです。それはもう自由ではないから。コミュニケーションをデザインするうえで、相手の背中を押しながら輪郭を確認して「こんな補助線があればこのひとは動いちゃうんじゃないかな」と想像することが大事です。

完璧ではない自分からはじめる

今津:チャット欄にいくつかの質問が来ています。

「まちづくりとデザインをテーマにしたお話ですが、私は自分の地元のあるまちに愛着がもてません。実家のあるまちでは喜怒哀楽の表出が難しい。どうしたらいいでしょうか?」

田中:意図的に愛さなくてもいいのではないでしょうか。家族にしても、地元にしても、愛して当然と思われがちなものを愛せなかったことを自責しなくていいです。ただし、愛するもの、愛着を感じるものが何もない人生はご自身にとって不幸だと思います。そういった出会いは、家族や地元以外にあるかもしれないし、いろんなところにいって、いろんな人に会ってください。

今津:もうひとつ質問が来ています。いかがでしょうか?

「SDGsが掲げている『誰ひとり取り残さない』ということについて、田中さんのお考えを聞かせてください。」

田中:「誰ひとり取り残さない」というのはSDGsにかかわらない話で、「世の中はそうあってほしい!」と強く思っています。なぜなら、自分が取り残されるのは怖いから。

こうやってみなさんの前でまちづくりや福祉について話すのがおこがましいと思うほど、私は自分自身のためにやっています。私は「相手のためになにかをすること」だけではなく、「私になにをしてくれるんだろう」と両方を考えてしまうんです。私にとっての福祉はそういうもの。「誰ひとり取り残さない」は自分ごとなんです。

今津:「誰ひとり」のなかに自分自身も入っていることを意識すると、他人ごとではなく自分ごとになりますね。

田中:世界も自分も完璧ではありません。私はあいさつをするのが好きだけど、耳が遠くて目も悪いので、私に向けてくれたあいさつをスルーしているかもしれない。不本意なことですけど、いつも完璧なコンディションとはいきません。でも「じゃあどうする?」って、完璧でないことを肯定的に受け止めていくところからはじまるのではないでしょうか。できるだけのことをしたい一方で、自分が完璧ではないことに腹が座っています。

今津:人間は完璧ではないし、うっかりしているものだし、それはお互い様だという感覚を持ちたいです。そのうえで「(完璧ではない私は)じゃあどうするのか?」というふうになれたらいいなとぼくも思います。 

田中:そうなんですよね!私の実家は病院なので、医療や介護や福祉を利用する患者さんを身近に見て育ちました。たまにいるのは「お金を払っているんだから完璧なサービスを受けられるはずだ」と思っている方。もし私が介護や福祉で働くなら「今日は調子悪いから完璧なサービスはできない!」とか「ちゃんとしてないけど、あなたのことが好きだよ」とか言っちゃいそう。

完璧な世界はないし、私自身も完璧とはいえません。そういう「完璧ではない自分」からはじめてみる。できるだけのことをするために「じゃあどうする?」と考える。私はそういうあり方でいたいと思います。

【2022/3/10開催】日々の暮らしを、やさしく、面白くする未来会議

SWLABは、約2年ぶりの対面参加型のイベントを3/10㈭に京都で開催します!

ゲストとして田中元子さんにもご登壇いただく予定です。田中さんのお話をもっときいてみたいと思われた方は是非チェックしてみてくださいね。

【日時】2022/03/10 (木)13:00 -19:30
【会場】KYOCA Food Laboratory(通称:KYOCA京果会館)3階「HACOBA」 京都府京都市下京区朱雀正会町1-1
【定員】50名(学生限定)



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