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まずは自己紹介

記念すべきnoteの2ページ目は

私の自己紹介を記そうと思います。

1993年5月28日に岡山県で生まれました。

幼少期はままごとより男の子と外で遊ぶ方が多く活発でとにかくやんちゃでした。

いつも周りの人に「なんで?」と聞いて周り、両親を困らせたものです。笑

両親の「可能性を見つけてあげたい」「挑戦させたい」と言う思いから

小学校からは習い事に専念し、ピアノ、習字、水泳、スポーツ少年団、家庭教師、茶道と子供ながら毎日忙しい日々をおくりました。

みんな学校が終わった後に友達の家に集合するすごく羨ましかったのを覚えています。笑

中学はバスケ部に所属し、ピアノと家庭教師とバスケに3年間を捧げました。

チームメイトと毎日汗を流したのあの頃の思い出は今も鮮明に覚えています。

この頃は思春期ということもあり、親に八つ当たりばかりして困らせてしまったこと、今は申し訳ないことをしたと反省しています。

中学を卒業後、「制服が可愛い」「自立したい」という思いから商業高校に入学します。

3年間は資格取得とバイトにあけくれ、学生ながら貯金をするのが何よりも楽しみでした。

授業でビジネスについて触れる機会が比較的多くあったにも関わらず、あまり関心がなく、「早く就職したい」一心でした。

そして、高校卒業。

進路について親と話す機会があったのですが、親は一言。

親「大学に行け」

私「???」

親「大学4年間は勉学だけじゃなく経験に使いなさい。岡山は田舎だ。もっと広い世界を見なさい。」

ただ独り立ちしたいがために3年間、お金を貯めて運転免許も取った私からしたらその一言は衝撃的でした。

そこから悩んだ末、「学費を免除する」という言葉に甘え、隣の神戸の大学に進学することにしました。

大学は福祉関係の仕事に従事する両親の影響もあり、福祉学部へ。

今だからこそ言えることは、

「この4年間があったから今の私がある。」

そう言えます。

4年間は様々なことに挑戦しようと

ボランティア、アルバイト、海外旅行に明け暮れました。

ボランティアは震災関連の大きな規模から町のゴミ拾いの小さな規模まで参加しました。

無償の精神に気づき、そしてボランティア、人助けの素晴らしさに感銘を受けました。

アルバイトは夜のお仕事から居酒屋、ブライダルと高校の時経験できなかった仕事を体験しました。

理不尽な経験もたくさんして、悔しい思いもたくさん経験しました。

それでも笑顔で支えてくれる人は少なからずいて、今でもアルバイトで出会って繋がっている人はたくさんいます。

海外旅行は同じ国(国土の広い国を除く)には行かないと決めてバックパッカーをして周遊しました。

アジアはもちろん、ヨーロッパ周遊、南米、短期留学などを経験し、海外の友達もたくさんできました。

今でもフェイスブックで近況を報告し合います。

ちなみに英語は日常会話ほどしか話せません。笑

4年間たくさんの出会いと別れを経験し、人としての殻を破ることができました。

正直、高校まではあまり笑えない人間でした。

写真を見れば一目瞭然。顔が引きつっているんです。笑

今は120%の笑顔で私らしく、素直に生きています。

今は両親にただただ感謝しています。

大学卒業してからの話はここから長くなるので3ページ目に記しますね。

最後まで見ていただきありがとうございました。


中川

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