古民家DIY18日目 家の効能について知る
最近の私はかなり焦っていました。
お店作りは間に合うのか、まだまだやる事が山積みな古民家DIY、そして備品や塗料でも想像以上にお金がかかる。
その中でもnoteブログにUPしたくてもなかなかできない自分。
イメージはあるから、その時その時に目の前に出てきた事をやっていけば大丈夫。
そう思いながらも心の中は、表面は優雅に水面化では足バッタバタの白鳥の泳ぎのごとく大慌てでした。
あれもしなきゃ、これも終わってない、作業工程のリストが頭でいっぱいの古民家DIYだったのです。
そんな中でも古民家に来ると家の梁や造り、日差しから入る庭の木漏れ日にハッとして惚れ直す、だから頑張れる日々でした。
そして昨日、DIYの合間にだんなと縁側に座りながら遅いお昼ごはん休憩中の時でした。(まだ拭き上げしてない土埃だらけの床なのでレジャーシートをひきながら)
私がだんなに不安や焦る気持ちを話していたのですが、話しながらも改めて縁側に降りかかる日差しと庭の空気が素晴らしい。
ふと気づくと話を聞きながらだんなはうん、うんと相槌を打っていますが返答が返ってきません。
「どうして何も話さないの?」と聞くと、だんなは「気持ちいいと思って」とだけ言いました。
その時縁側に神社や神宮にいる時のような、澄んだ厳かな空気を感じてハッとしました。
そして頭の中にイメージが出てきました。
それは物を創り上げることに対して手を合わせる人の姿でした。
それから突然ストンとざわざわしていた焦る気持ちが落ち着きました。
私は物を創るということが何かに手を合わせるという気持ちで創ること、ということが感覚でわかって腑に落ちました。
目の前のお金の問題(もちろん大事だからこそ悩む)に捉われていて、目先の短期的な一点集中の物の見方しかできなくなっていました。
何か創造的に物を造る、ということはもっと外側から色んな要因が1つの山を作り上げるように合わさってできていくというイメージが出てきました。
そして色んな人が縁側でアイデアを話していたり、訪れる人もお茶や食べ物を出したりするお店のイメージが湧いて、それは飲食店というより親戚の集まりでわいわいと色んな人が立ち寄ったり台所からお給仕するようなイメージでした。
この家が人に集まって欲しがっている、というのが伝わってきて、縁側でお茶でもしながらアイデアを出しているといい考えも閃く、そんなイメージでした。
そしてここはそういう場所になるだろうと思いました。
この家の庭は入り口から円を描くようにエネルギーが回っていて、それが訪れる人には「なんかここ、気持ちいい場所だ」という感覚で感じるようです。
この家や庭の創り手が無意識でも思いを込めたから、こういったエネルギースポットのようなエネルギーの流れる家になったんだと思います。
だんなに今突然気持ちが落ち着いた、物を創るということが手を合わせる気持ちと同じだということがわかった、と伝えると
だんなは「同じ気持ちになってくれてよかった」と言っていました。
だんなは私より多く古民家に入っているためか、ここに来る度にその感覚を実感していたようです。(早く教えてよと思いましたが、説明下手なだんなです🤣)
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