見出し画像

にんじん古今西北

みなさん、こんにちは。
Yamayoyamです。

あちこちの記事で「ストックホルム大学のバルト語学科で勉強した」と書き散らしてきたので、もうおなじみかも。Yamayoyam はかつてスウェーデンのストックホルムに住んでいました。
スウェーデンはバルト海をはさんでリトアニアのお隣さん。ですから、スウェーデン語は北ゲルマン語、リトアニア語はバルト語で語派は違いますけど、昔から交流が盛んでした。
そのせいなのか、ストックホルムのスーパーで買い物中に「おや?」と思うことがたまにありました。スーパーの外でもありましたけど。

例えば

ニシン (瑞)sill、(リト)silkė
にんじん(瑞)morot、(リト)morka
カブ   (瑞)rova、(リト)ropė
お金  (瑞)pengar、(リト)pinigas
市場  (瑞)torg、(リト)turgus 

スーパーで「あれ?見覚えがある単語だ・・・!」となるわけです。

特ににんじんのようにヨーロッパで古くから栽培され利用されてきた野菜の名前がこんなふうに似ているとついつい興味をそそられます。

ということで、今回は北ヨーロッパにおけるにんじんについて考察してみたいと思います。

まずは上に挙げたちっちゃい表に書かれている「にんじん」に、いくつか加えたいことがあります。
一つは、リトアニア語の中でも地理的にラトビアに近いジェマイティア方言で主に、burkonas、burkūnas という形がにんじんの意味で使われていること。ラトビア語 burkāns「にんじん」に対応します。

もう一つは、スラブ語のにんじんたち。
ロシア語 морковь、ポーランド語 marchewka、ベラルーシ語 morkva などなど、スラブ祖語 *mъrky に遡ります。リトアニア語 morkaは、ベラルーシ語から借用した morkva を縮めて作られた形(※1)。

そこでにわかに浮上するのが、ジェマイティア方言 burkonas とラトビア語burkāns がバルト語のオリジナル「にんじん」だったけど、リトアニア語ではジェマイティア以外の方言でスラブ系の morkva / morka に置き換わったという可能性。それにしても *murk- (> *mъrk-) と *burk- ってなんか似てない?何らかの関係があったんじゃないの?というのが非常に気になって夜も眠れなくなりますよね。

一方、ゲルマン諸語に目を向けると、英語 carrot やドイツ語 Karotte(特にスイス)でおなじみの単語は美食の国の言葉フランス語 carotteからの借用語で、ドイツ語にも Möhre や Mohrrübe などの昔ながらの「にんじん」があります。Möhre なんて Migros で見たことなかったよ・・・。それもそのはず、スイスでは美食の隣国からやってきた Karotte が好まれて Möhre は使われないんだそうです。

古高ドイツ語で Möhre に相当する語は moraha, moreha, morach, morha, morhe などと書かれていたそうで、「黄色いにんじん」のことだったんだとか(コチラ)。古英語 moru / more、古ノルド語 mura も記録されていて、ゲルマン祖語の *murhōn「野性のにんじん」が再建できます。そして、おそらくゲルマン祖語 *murhōn とスラブ祖語 *mъrky はお互い無縁というわけではナイ・・・。

そうして見ると、スウェーデン語の moroはなんで最後に -t が付いているんだろうと疑問に思いますが、実は moro「根菜」+ rot「赤い」 の合成語由来(コチラの辞書参照)。他のゲルマン語の「にんじん」やスラブ語 *mъrky と対応しているのは、moro- の部分です。

そんなわけで、ゲルマン祖語 *murhōn とスラブ祖語 *mъrky から、(バルト)スラブ諸語やゲルマン語などの「北方印欧語」に *murk-「(野性の)にんじん」という語根が再建できます。

ここでいったんまとめると、結局スウェーデン語 morot とリトアニア語 morka が似ていたのは、スウェーデン語とリトアニア語の間で直接「にんじん」をやりとりしたからではありませんでした。スウェーデン語はゲルマン祖語 *murk-「にんじん」を手を加えつつ受け継ぎ、他方、ゲルマン祖語 *murk- と同源のベラルーシ語 morkva「にんじん」をリトアニア語が借用したからこうなった、ということでした。

が、心にひっかかるのは、さきほども触れたジェマイティア方言 burkonas やラトビア語 burkāns に含まれる語根(?) *burk- と *murk- の関係。

*burk- と *murk- の関係について、考察した言語学者がいました。Illich-Svitych というロシアの歴史言語学者は、*murk- と*burk- は同じ語根の「ヴァリアント(変異種)」で、 *mr̥k- / *br̥k- が再建できると考えました(※2)。ヴァリアントというのは、例えば日本語で言うところの「やはり」と「やっぱり」のようなもの。音が一部違うので、違う意味の言葉になるかと思いきや、両者とも同じ語の「違うバージョン」として認識されていて、同じ意味に解釈されます。*m- と *b- の音は、発音する時の口の形は同じ(両唇閉鎖)で、鼻から息を出すか出さないかの違いしかありませんので、似ているといえば似ています。だからヴァリアントとして突拍子もない組み合わせではないです。

ここでもう一点面白いのは、(詳細については諸説あるものの)*mr̥k- / *br̥k- が限られた地域でしか例証されていないこと。ギリシャ語 Gr. βράκανα「野菜の原種」と関係があるのないの言われていますが、もし関係あるとしても、北方印欧語(ゲルマン語・バルト語・スラブ語)とギリシャ語くらいにしか例証されていなくて、しかも意味にブレがあります。おまけに、本記事ではスルーしてきたけど、「にんじん」の形が実はちょっとヘン。ゲルマン祖語の *murhōn とジェマイティア方言 burkonas、ラトビア語 burkāns はかなりきちんと音対応していて、杓子定規に考えれば印欧祖語に *mr̥k-ān- / *br̥k-ān- が再建できる!と言いたくなります。でも、*-ān-という接辞、印欧祖語には無いのです・・・。似てるので *-ōn (< *-on-s) ていうのがありますけど、別物。つまり、 *mr̥k-ān- / *br̥k-ān- は本物の印欧祖語の単語じゃなかった、ていうことですね。そこで Kroonen 先生は、印欧祖語の話者たちが進出する前にヨーロッパ地域に住んでいた先住民の言葉に *mr̥k- / *br̥k- (ān-) が由来するんじゃないかと考えています(※3)。 *mr̥k-ān- / *br̥k-ān- にはきっと何らかの根菜の意味があったのでしょうが、その先住民と接触があった印欧祖語話者の集団が異なるヴァリアントを受け入れ、意味もそれぞれの集団でちょっとずつ変化していったんではないでしょうか。

こういうヘンなケースの裏側には、大昔の言語接触の可能性が隠れていることがあるのですね。あまりに昔のこと過ぎて、結局真相は今となっては闇の中ですが、ロマンを感じる面白いことばです。

Yamayoyam

※1 Ernst Fraenkel(編)Litauisches etymologisches Wörterbuch (Heidelberg: Carl Winter, 1962 – 1965) より 464ページ。
※2 Illich-Svitych, B. M. “К этимологии слов морковь и тыква” Эиря I, 1960, pp. 16 – 20.
※3 Guus Kroonen(編)Etymological dictionary of Proto-Germanic. (Leiden: Brill, 2013) より378ページ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?