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「好き」の表し方

こんにちは。
Yamayoyamです。
今日もスイスラボの言語学者のブログにお越しいただきありがとうございます。

今回は、リトアニア語とドイツ語を勉強しながら、「面白いな」と思った構文について書きたいと思います。

リトアニア語の授業で、「好き」というには二種類の言い方があると習いました。

どちらも「私は言語学が好きです」という意味ですが、構文が違います。
一つ目では、言語学が好きな「私」が文の主語になっていて、主格です。それに「一致」している動詞も一人称単数形で、好かれてる言語学は対格。ノーマル。
ところが二つ目では、言語学が好きな「私」は主格じゃなくて与格、好かれてる言語学が主格、動詞は恐らくそれに一致していて、三人称現在形(※1)。

この二番目の構文、すごく面白くないですか?
好かれてるものの方が主格で、好いている「私」がなんと与格!
でもまあ、「言語学は私にとってお気に入り」みたいなニュアンスなのかな?とか「言語学好き」って日本語でも言うけど、この「が」はなんだろう?と思ったり。文字通り何十年も前の高校生の頃、古語辞典で「ガには感情の対象を標示する意味もある」というコメントを読んだような記憶がうっすらとあるような、無いような、やっぱりあるような。
でもこういう話は、日本語学をちゃんと勉強した方にお聞きしたいと思いますので、Yamayoyam は今回スルーいたします。

この構文に興味を惹かれたのは私だけではありませんでした。バルト語学科での私の先輩、Valgerður Bjarnadottir 先輩もこの類の構文に興味を強く惹かれ、博士論文で取り上げました。
この構文は、所謂 non-canonical case marking「非典型的格標示」と呼ばれるものの一種なんだそうです。典型的な格標示というのは、ざっくり言えば「主語は主格を、目的語は対格を取る」ような構文のこと。
まさに

Aš mėgstu kalbotyrą.
「私」1単主 「好き」1単 現「言語学」単

のようなやつのことですね。

それに対して「非典型的格標示」というのは、主語にあたりそうなものが主格以外の格を取ったり、一見目的語と思われるものが主格を取ったりする構文。まさに

Man patinka kalbotyra.
「私」1単 「気に入る」3単/複 現 「言語学」単

のような構文のことです。

Vala先輩の論文では、

  • このような構文をとる「痛む」を表す動詞の、リトアニア語方言間での語法のゆらぎをはじめ、

  • このような構文をとる動詞全般に共通する意味的特徴の分析、

  • 古リトアニア語だけでなく、古ノルド=アイスランド語・古代ギリシャ語・ラテン語・古ロシア語にも例証されている類似の構文を比較、構文自体が印欧祖語に再建される可能性

などが論じられていて、たいへん興味深いです。

ひらたく言うと、これらの動詞の意味は、「主語が目的語をどうこうする」ではなくて、「~に~が起こる、~が生じる」というタイプです。
とはいえ、「~が起こる、生じる」ことを認識する主体や、例えば「AはBが好き」では、「Bへの好意」を認識する主体Aが主語と認識しがちです。
その場合、BはAが好意を持つ対象、すなわち目的語、という認識になりますね。
ところが、例えば「A-与 patinka B-主(AはBが好き)」構文での主語や目的語の格標示の構造は、いわば「B(主格)がA(与格)の好みである」に対応するようになっています。
話者にとっては「A(主語)がB(目的語)を好いている」意識なので、このミスマッチが非典型的な格標示と認識されているのでしょう。
と、つらつら書きながら、これと同じことが日本語の「AはBが好き」でも起きてるのかな?と性懲りもなく思ったり。

ところで「好き」の言い方、ドイツ語でもまったく同じく二通りあるんですよ。

Ich mag die Sprachwissenschaft.
「私」1単主 「好き」1単現「言語学」単

Mir gefällt die Sprachwissenschaft.
「私」1単 「気に入る」3単現 「言語学」単主

ドイツ語では女性名詞の主格と対格が同形ですけど(そしてどんな文脈でこれを言うんだ?という問題がありますが)、
なんという偶然!
といっても、Vala先輩の論文を読めば、両方の言語で古い語法が残っている可能性があることがわかります。

それはともかく、もう7年ほど前ですけど、Yamayoyamはリトアニア語の練習のために、 language tandem というのをあるリトアニア人としていました。
Language tandem というのは、例えば最初の30分リトアニア語で話す練習をする間、そのリトアニア人が私にリトアニア語を教え、次の30分日本語で話す練習をする間、今度は私が日本語を教える、というやつです。
あるとき、そのtandemパートナーもドイツ語学習に挑戦したことがあるという話題になりました。
リトアニア語話者ならドイツ語学習もそれほど苦行感なく取り組めるのかと思って、「ドイツ語学習は楽しかった?」と聞いてみました。すると、
「いや~難しかったよ。ややこしすぎて、
man nepatiko….(自分は〔ドイツ語が〕好きになれなかった・・・。)」(※2)という、意外にも苦戦したらしいお返事が・・・。
ちなみに patiko は patinka (不定形 patikti) の3人称過去形で、「好きだった」という意味です。否定の ne- が付いているので、「好きじゃなかった、好きになれなかった」という意味になるのですね。

一つくらい構文が同じだからといって、それで学習が楽になるほど語学学習って単純なものじゃないんだな、という思い出でした。
いやでも、ややこしさなら、リトアニア語だって負けてないけどな・・・。

めげずにコツコツ続けましょうか・・・。
それでは次回まで、ご機嫌よう♪

Yamayoyam

※1 リトアニア語では、動詞の3人称形に単数・複数(・双数)の区別がありません。一説によると、ウラル語族(フィン語派のことでしょう)の影響かもしれないそうです。
※2 もちろん、冗談半分ですよ!難しかったのは本当でしょうけれど。


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