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お茶のはなし

こんにちは。
Yamayoyamです。
今回は、大好きなお茶のはなしをしたいと思います。

Yamayoyam は小さい頃からお茶が好きで、たいていの日本人が親しむお茶を普通に飲んできました。緑茶、焙じ茶、麦茶などなど。でも今日するのは、もうちょっと特別なお茶との出会いのはなしです。

大学進学を機に京都に引越し、実家のフトコロ事情により、安かろう・ボロかろうな寮に入寮しました。どのくらいボロいかというと、約20年前当時で木造築35年、随時アップデートされる建築基準法や水道法・下水道法に恐らく追いついてなかったけど建て替えるゼニがないため放置。水道管も一度も交換していなかったので、断水でもないのにちょいちょい水が止まったり、下水が詰まったり(※1)。壁が隙間だらけなので、寮生は鼠・ムカデ・イタチなどとの同居を余儀なくされる、といった具合。私もかつて台所でクールダウン中だったドライカレーをイタチに喰われましたよ!でも寮費が月たった200円(+自治会費200円+水光熱費実費頭割り)で屋根がちゃんとあって温水が出るときは出るのだから、感謝しかありません。私の最貧時代を救ってくれてありがとう~!!

かなり厳しい環境だったけれど、その寮では素敵な出会いもたくさんありました。そのうちのひとつ、いや二つが北京あるいは神戸出身の友人と彼女が紹介してくれたお茶の数々。
彼女はお茶が大好きで、当時始まったばかり(と思う)オンラインショッピング(多分)で珍しいお茶やお茶道具を母国から取り寄せていました。その中に「黄金桂」というお茶があり、取り寄せた道具を使ってそのお茶を「聞き茶(工夫茶)」という作法で淹れてくれました。

こんな感じ。画像クリックで引用元の「恒福茶具」さんのページへ飛べます。

聞き茶、今では有名で知っている人はけっこう多いかも。小さな急須とミニチュアみたいに小さくてかわいい茶碗(縦長のと平たいの)、スノコ付きの竹でできた箱(茶盤)、小さなガラスのピッチャーを使ってお茶の香りを楽しみながらゆっくりいただきます。かなり多い分量の茶葉に対して少量ずつのお湯を使うので、理論上は7煎までお茶を淹れることができるそうですが、私たちはだいたい4煎くらいまで楽しみました。いずれにせよ、聞き茶はゆっくりおしゃべりしたい時にぴったりな飲み方。

さて、黄金桂というお茶との出会いは、私にとっては衝撃的でした。それまでサントリーのウーロン茶やジャスミンティーなど中国茶モドキしか飲んだことがなかったので、同じ茶のキから作られているとはにわかに信じられませんでした。烏龍茶って、ホンモノだとこんな香りと味がするものなのか、と。それくらい香りも味も違ったのでした。でもそれは序の口。東方美人(青茶)、白毫銀針(白茶)、凍頂(青茶)、プーアル茶(黒茶)(合ってるかな・・・)、それからいわゆる茶のキから作られたお茶ではありませんが、菊花茶。彼女は私が見たことも聞いたこともないようなお茶を次々と紹介してくれたのでした。これらのお茶を飲みながら彼女と語り合ったのは、かけがえのない思い出です。

さてそんな京都でのお茶の思い出が、なんとスイス出身のうちのゲルマン語学者と出会って蘇ったのでした。というのも、彼も無類のお茶好きで、中国茶も愛飲しているから。どのくらいお茶が好きかというと、ベルンに引っ越して先ずしたのが、地元で一番のお茶屋さんを見つけることだったほど(※2)。

次に京都でのお茶の思い出が蘇ったのは、ストックホルム大学で Diachronic and areal linguistics(通時・地域言語学)という授業を取っていたときのこと。言葉の歴史を、それが話されている地域の地理的背景や、周辺で話されている言語との関連も含めて理解しよう、という授業でした。

あるときその授業で先生が、世界の言語の「お茶」の呼称(言語形式)を取り上げました。「お茶の話キター!」とばかりにお茶の思い出がアタマの中を走馬灯のように駆け巡ってたのは、その教室できっと私だけ。実際には「お茶」を例にして、言葉が地理的にどう広がり得るのか、その広がり(あるいは使用地域の縮小)にはどんな歴史的背景があるのかをテーマにしたミニプロジェクトをみんなやってみよう!という課題の導入だったんですけど。自分がどんなミニプロジェクトをやったのかすら全く覚えてないのに、このお茶の話はすご~くよく覚えています。(´・ω・`)

実はその先生(Östen Dahl 先生です)、こちらの記事の著者だったので、著者から直接「お茶」の拡散について授業で聞けたのは、得がたい経験でした。世界の言語の「お茶」の大半は、茶のキの原産地の中でも(伝説によるけど)いち早く飲用加工に成功した中国の由来です。加工品としての「茶」(茶っ葉のことですね)とともに、その呼び名も世界中に広まって行った、という歴史を世界の言語の「茶」は表しています。

「お茶」の伝播には二つのタイプがあって、それぞれ中国語「chá」と閩南語(「びんなんご」または「ミンナンご」)「te55」に由来します。閩南語は、中国福建省(鉄観音の産地じゃん!!)南部の「閩南」と呼ばれる地方で話されている言語で、中国語が属するシナ・チベット語族の一員です。
その二つのタイプの伝播を地図上で示したのが、下の地図です(地図をクリックすると、引用元のページに飛べます)。

Östen Dahl. 2013. “Tea”. In: Dryer, Matthew S. & Haspelmath, Martin (eds.) The World Atlas of Language Structures Online. Leipzig: Max Planck Institute for Evolutionary Anthropology. (Available online at http://wals.info/chapter/138, Accessed on 2022-01-04.)

日本に中国からお茶がやってきたのは紀元後800年頃のこと。中国語系の「chá(ちゃ)」という言葉が茶っ葉とともにやってきました。インドの「チャイ」も、中国語系の「chá」から。このように中国語系の「chá」に由来する語を使用している地域は、上に引っ張ってきた地図では赤丸で示されています。日本も赤丸を一個もらってますね。

一方閩南語「te55」由来の語を使う地域は青丸で示されています。ヨーロッパとかつてのヨーロッパの植民地に多い印象ですね。これには理由があります。17世紀当時、お茶を中国からヨーロッパに輸入していたのは、主にオランダ商人たちだったのですが、彼らが中国で拠点にしていたのが福建省の廈門市(アモイ市)。閩南語が話されている地域でした(し、今もそう)。そういうわけで、茶っ葉と一緒に「te」がヨーロッパに広がったのでした。だからドイツ語でも「Tee」、英語でもおなじみ「tea」。でもリトアニア語では「arbata」だよ・・・(これについては別記事にします)。

こんな面白い話を聞きながらも、私は京都で貴重なお茶のお相伴にあずかりながら、友人とお喋りに興じた日々を思い出していたのでした。だから自分のミニプロジェクトのことなんてまるで覚えてないんだナ。

今日も私の思い出小咄にお付き合いくださり、ありがとうございました。

Yamayoyam

※1 水道管から鉛が溶け出ててヤバいかも、ということでその後無事交換されました。大学が費用を工面してくれて、寮自体も最近建て替えられたみたい。ありがたいことですけど、寮費は爆上がり。200円と比べちゃいけないけど。
※2 Länggass Tee というお茶屋さんです。我らがスイスラボの千寿子さんが茶道の先生をしているお店です。もうひとつ、 La Cucina というお店も、スパイスや香り付きのお茶も色々売ってて素敵。

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