やらずに後悔したことはあっても、やって後悔したことはない気がする。
大学生になり、早1年。
振り返るとこの1年なにしていたんだろうと思うことがある。
もちろん細かいところではいろいろやっているし、それなりに充実感も感じてはいる。
それはこの前の記事でわかっていただけるかと思う。↓
しかし、サークルに入っていなかったり、本来なら留学など経験する人も多い中、そういったことがなかったこれまで、そして今後もないであろうコロナ時代を思うと、すこし悲しくなる。
行動力が削がれている
そんな気持ちにさせられる。
しかし、コロナのせいにするつもりは毛頭ない。
*
先日、大学からのお知らせの掲示板を久しぶりに漁っていると、4つほど興味深いお知らせがあった。
1つ目が、PanasonicとコラボしてSFから着想を得たアイデアの商品を企画しよう、というイベントであった。
見つけてすぐに応募したが、応募者が多数だったらしく、抽選の結果、20名の枠から見事に外れてしまった。
2つ目が、「心と情報」というフォーラムである。脳科学や心理学など、私が好きそうなワードが散りばめられた案内を目にし、こちらもすぐに応募した。
前日となった一昨日、zoomの接続先URLと資料が添付されたメールが届くと、少し憂鬱になった。
「他にやりたいことあるのになあ」
と思ってしまった。
…元はと言えば、興味があって応募したはずなのに、である。
しかし、当日となった昨日、結局ちゃんと参加した。可もなく不可もなく、といった印象ではあったが、後悔するほどではなかった。メモもしっかりとった。
3つめと4つめはいま、参加することを迷っているものである。
3つめは、元々この時期に毎年行われていた、デンマークの短期留学プログラムである。
今年はコロナの影響で、参加費不要のオンライン開催となった。本来は事前学習+実地2週間程度+事後学習の構成だったが、今回はすべてを3月いっぱいで完結させるらしい。
英語で心理学を学ぶことと異文化交流がテーマだ。
私が迷っているのは2点、
「もし来年コロナが収束し、実地での開催が可能になった場合、損だな」という点と、
もうひとつは、
「これで2単位とるなら、他の科目をとりたい気もしなくもない」
という点である。
こちらの方は応募締切が2/28までなのではやく決断しなければならない。
4つめは、
国際社会活躍する人材育成プログラム(?)という長ったらしい名前の通年のプログラムである。
英語で国際問題のディスカッションをしたり、選ばれたメンバーは海外研修に返済不要の奨学金で行けたりするらしい。
しかし、私は別に将来海外で働きたいわけでもないし、なんなら「国際社会で活躍」なんぞ、1番縁遠い、無関心な人間だ。海外なんて旅行で行けたら十分、という価値観で、英語に対する向上心のカケラもなかった。
そんな私なので、1度は "やめとくか…" と見送ったものであったが、
以前お話しした憧れの企業さんが、
『プログラム参加者の主な就職先』に載っていたことで、夢のための一歩になるかもしれない、と感じたことと、
基準である『一定の英語力』であるTOEICの点数を満たしていたこと
が後押しして、現在検討中である。
こちらの応募期間は3/5〜3/25であり、一応まだ考える余裕はある。ちなみに、交通費以外は参加費不要である。
ちなみに私のイマの夢はVR開発に携わることである。詳しくは以下を閲覧いただきたい。
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2つのプログラムへの参加を考えていて、
ふと気づいたことがある。
それは、タイトルにもなっている、
やらずに後悔したことはあるが、やって後悔したことはない、ということである。
これまで、わたしは行動力の塊のような人間だった。それゆえに、この19年間、たった19年間だが、それなりに波瀾万丈な人生を歩んできたと思っている。
基本なんでも引き受けてきた。
高校時代は、水泳部と文化祭実行委員、水泳部と生徒会をかけもちしていたし、
「〜実行委員」や「〜長」、「〜リーダー」…などという名のつく代表の役割のものは、ほとんど全てになってきたと思われる。
それに、中学は中高一貫の女子校だったが、高校に上がるときに内部進学を取りやめ、公立高校に入り直した。
他の人とは違い、中学•高校•大学と受験を3回経験したが、こんな人生を歩んできたおかげで、公立の事情も私立の事情もわかるようになった。
このようにどの分岐点においても、自分の理想の環境を選び取るために最善を尽くしてきた。
もちろん、後悔なんてあるわけがない。
振り返ると、"人生の選択"という点において、やらなかった後悔は、
大学受験の勉強を早くからはじめなかったことくらいで、基本的にやらない後悔はしていないつもりだ。
それらを引き受ける前、迷わなかったわけではない。特に、高校時代は"部活命"だったため、決断前に迷ったこともあった。
しかし、高校時代の「文化祭実行委員」は担任の先生からの推薦以外でなることはできないし、「生徒会副会長」もオファーがないとなれない役職だった。「駅伝走者」も、周りの人に「持久走はやいの女子の中ならお前しかいない」といわれて引き受けた。
「周りの人から頼りにしてもらえた」という自信が、わたしを後押しした。
これらに後悔なんぞ、微塵も感じていない。
むしろ、それらを経験したからこそ、現在の自分がある。もちろん、周りの人から頼まれたものだけでなく、中学生頃までの自分から引き受けた役割に対しても後悔していない。
そう気づいた時、なんとなく、
「どちらのプログラムにも参加している」未来の自分が見えた気がした。
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