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俺にとっての坂本龍一

有名無名問わず、知ってる知らない問わず、年齢問わず、日々いろんな方が召されていく。生があるから死があるし、死があるから生もある。何かの死を食して我々は生きていると考えたらごく当然なこと。それが植物に限定しようが動物や昆虫(!)だとしても、何かの死を食していることに違いない。

それを「こちら側の生」と「あちら側の死」と分けて、なるべく遠ざけるように生きていくのか、それぞれが絡み合って循環していると捉えるのか?この方は特に晩年、後者であることを強く主張されていたように思う。

坂本龍一
2023年3月28日享年71

坂本龍一、、、言わずもがなピアニストであり、作曲家であり、Yellow Magic Orchestraのメンバーであり、プロデューサーでありつつ、環境保護や政府の無策を訴えるオピニオンリーダーでもあった方だが、俺は正直そんな好きな人ではないし影響も大して受けた記憶はない。でも常に気になる人ではあった。その塩梅をどう言葉にしておけば俺なりの鎮魂となるのかと考えているうちに1ヶ月以上経ってしまった。

そうねぇ、好きな曲はあれぐらいかな。YMO時代末期の"Perspective"ぐらい。あのぐるぐる回っていくようなコード進行の気持ち良さだけはリアルタイムでやられた。歌詞共々「定点観測」のような楽曲は今でも好きだ。

「戦メリ」はもう、、、リアルタイムでも後でも今でも「別に、、、」って感じかな。CMで使われて大ヒットしたピアノ曲「Energy Flow」もハイハイって感じ。クライアントからのニーズと世情分析をうまく音質ごといい感じに落とし込んだ曲、職人だなぁ、、、と言う印象以上でも以下でもない。もちろんその職人としては俺なんか足元に及ばないぐらい素晴らしい職人だとは思うけれど。

楽曲がどうかはさておき、今年頭にNHKで放送された特集でも語っていたし、他でも語っているのを読んだことがあるけれど

「自分のことをピアニストだと思ったことはない」

その表現に坂本龍一、教授らしさが凝縮されているように思う。個人的に一番シンパシーを感じるのはそこなのだ。

それは俺が思うに決して謙遜などではない。彼は東京芸大出身な訳だが、入学したのは1970年だ。ある書籍でこんな言葉を見つけた。2010年に出た「縄文聖地巡礼」と言う対談本のなかの言葉


「(西洋音楽のシステムは)1920年代には終わっちゃった。あるいは1970年にデッドエンドを迎えた。」

音楽にハマっていって大学に進学した、その入学年を「西洋音楽の死」と捉えているところが坂本龍一のその後を作ったように思う。もう音楽は出尽くしてしまった、西洋音楽システムに世界は食い荒らされてしまったことを知る青年。そこに真っ当な道が無くなっていることを知り、現代音楽から電子音楽など、新しい道を探す旅が始まる。しっかりとクラシック教育を受けたにも関わらず。そしてその旅を一生続けてきたからこそのキャリアの面白さと幅広さがあるように思うのだ。

一方、性欲がすごい人だったという噂もある。ビートたけしをして「あいつには敵わない」と言わせたと言う話もある。

そんな、「終わってしまった音楽」をこれからどうやっていけばいいのか?と言う不安と、下世話な言い方だと「モテたい」と言う気持ちのバランスが彼を一生冒険家にしたのではないか?それはいい意味でも(悪い意味でも)Miles Davisとも通じるものを感じるのだ。いずれも最先端の楽器・最先端の音楽とされるものに対して驚くほど率先して導入していったキャリアを持つ。そのエネルギー源はその二つじゃなかろうか?と。不安と性欲。

そんな不安であるが故学んだのか、学んだが故の不安かは分からないが、結果、坂本龍一は博識だ。実際音楽史なる番組を司会進行できるほどの知識を持っていた。だからこそ、音楽に詳しいからこそ、卑下でもなく

「俺なんかピアニストと自称できるほどのものは持っていない」

と言う自己評価につながっているんだと思う。

でもそこはズルくもある。本人がどう言おうが、側から見たら紛れもなくピアニストだ。その、博識が故の、うまい塩梅の隠れ蓑を作ったようにも見える。実際ピアニストを自称してないが故、あまり練習をしない人だったらしく、昔あるインタビューで矢野顕子さんが

「坂本くんはもっとピアノ練習したらいいのにねぇ」

と言っていたと記憶する。

その、ピアニストを自称しないで、ピアノを弾く、その感じがズルいのだ。そして上記の「戦メリ」「エナジーフロウ」のような、俺からするとズルい曲をズルい出し方(タイアップなど)でヒットを出してきた、そんな印象があるんだと思う。

ズルいと思った俺自身は、結果その表現を引用させてもらいがちだ。俺自身、作曲も好きだから、ついピアノ練習よりも作曲に夢中になることが多いので「俺はピアニストというか作曲・プロデュースの人だからね」とよく自己紹介する。そこは坂本龍一イズムを頂戴しちゃっているのかもしれない(笑)。だって俺なんかより上手いピアニストはいくらでもいることを知っているからね。でもそんなテクニックが評判のピアニストへの対抗意識は、ある。テクニックと違う形で、ピアニストとして勝負したいと思う時に便利なのよ、その視点〜Perspective。ピアニストなのにピアニストを自称しない感じ。

そう、楽曲や演奏自体には「ズルい」としか思ってこなかったけど、その視点と佇まいは正直影響を受けてきちゃったと思う。先に紹介した対談本などを読むと彼の哲学や歴史方面への学びの深さに感銘を受けたりする。人類史を見つめることで、現在の問題点を指摘していく感じは冷静で素敵だ。原発問題は古くから動いてらしたし、生前最後に残したのは、神宮外苑の並木伐採に許可を出した東京都への抗議だった。

こうして、召された後も間違いなくその志は受け継がれていく、そんな動きをした人であることは間違い無いです。

一方で、彼の世代には政治家も数多おり、こんな世の中にした原因もその世代であることは確かで、これは一体どういうことなのか?という分析もいずれなされるのかな?とも思います。安保闘争やヒッピーや色々やらかしてみた世代と少しだけ年下のようには思うけど、それに対する諦観が坂本龍一を産んだのか、実は表裏一体なのか?若い人からしたら、悪い爺さん婆さんと、良い爺さん婆さんがいるだけにしか見えない訳で、なぜ爺さん婆さん同士で分裂しちゃったのか?という見立ても必要なのかもしれない。

今齢53の俺などの世代は、こうした切り拓いてきた先輩たちに抗えず、歯車になるか離脱かを余儀なくされた世代。その無力感は間違いなく世の中を悪くした側面もあるだろうから、つまり一定の責任は我々にもあるので、ただの悪口ではありませんが、、、

*****

何はともあれ、坂本龍一氏の曲を聞き直すよりも先に、この本を読み直し始める俺でした。


「縄文聖地巡礼」坂本龍一・中沢新一 著

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