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サボれ にげろ とにかく死ぬな

拙著『まともがゆれる』(2019/朝日出版社)が、昨年実施された高3駿台全国模試に使用されたと連絡があった。

10歳の頃から「学校」に苦しみ続け、その苦しみについても恨み節満開で書いた本が、学校制度の極致とも言える大学受験のために使われたというのは皮肉というか痛快というか。もう5年も前の本だし、上手い文章ならば他にいくらでもあるのに一体誰が選んでくれたんだろうと驚いた。

受験生に対して見当違いな望みかもしれないが、背負わされた心の荷物が少しでも軽くなった若者がひとりでもいればいいなあ、と思う。

頑張ってせっかく大学に入っても、病んでしまう学生がとんでもなく増えているそうだ。

何でもかんでもコロナ禍のせいにするのは違う。コロナ禍での在り方も含めて、とっくの昔のそれ以前から若者たちを追い立て追い詰める、僕たち大人が更新し続けているクソッタレ社会が悪いのだ。


<何かが確実に過剰であり、何かが決定的に欠けている気がする>


序文に書いたこの気持ちは今も変わらない。

「これをやったらうまくゆく/やらなければうまくゆかない」的なマニュアル主義。対話の重要性を掲げつつ、相手の話なんてサラサラ聴く気もない正義正論。見栄えだけはそれっぽいウソが加速度的に溢れ返り、世界のいびつさはますます悪化しているように見える。

スウィングの仕事として受けたことだけれど、昨日卒業式を迎えたある大学生たちに言葉を贈った(字はアッキー、さすが味がある)。


サボれ にげろ とにかく死ぬな


本来ならば反対のような気もするが、心優しき<まとも>な正直者が割り食う社会においては、心身を痛めるほどマジメにやるよりサボるほうが難しく、いてはいけない場所にとどまり続けるよりそこから逃げることのほうが難しい。  

時代は違うが僕の場合は「4年間休憩する」と宣言して、その通りにほとんど大学に行かない大学生活を送り、一切の就職活動をせずに卒業し、学歴なんて全く意味のない遺跡発掘の仕事に就いた。以降も学歴に縛られたことなど一度もないし、誰かのそれを気にしたこともない。

生き方に正解なんてあるわけがなく、押しつけられたマニュアルは幸せの処方箋でもなんでもない。

だから勇気を持って、自分自身を痛めつけないように堂々とサボってほしい、逃げてほしい、とにかく生き延びてほしい。

だいじょうぶ。苦しさを自分だけで解決しようなんて思わないで、しっかり人に迷惑をかけまくって、外に開けばなんとかなる。


サボれ にげろ とにかく死ぬな

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