多くの人が魅了されている空海は、謎の多い人なのです。そこにまた惹かれてしまうのでしょう。
いつも、ありがとうございます。
目に見えない世界の配信を
させて頂いているところです。
前回は
空海の事を
書かせて頂きました。
空海の
詩文と書の作品が
優れていた事も
ご紹介させて頂きました。
空海は、
この現代から見ても、
非常に
謎の多い人なので、
空海を
追い求める方が
多くいらっしゃるのでしょう。
時間と空間を超えても
伝承されている存在が
空海なのです。
さてさて、
当時の
引き寄せの法則で
運を味方につけてしまった
空海ですが、
唐の留学から
日本に戻ってきてから
一年ほど
筑紫の国、
今の福岡にも滞在していた
記録が残っています。
空海は
放浪癖がある様で、
いつもどこかに
行ってしまいます。
しかし、
その多くを語らないのが
空海なのです。
語らないというのは
魅了される
ポイントなのでしょう。
その神秘性が
空海を
掘り下げて
研究してしまうのでしょう。
さてさて、
空海は
私と縁が深い
宗像にある
宗像大社にも訪れています。
空海は
屏風山に
瑞運が棚引くのを観て、
奥の院岩窟において
修法を始めたところ、
「この地こそは
鎮護国家の根本道場たるべき霊地」との
お告げをこうむり
国を鎮めるという事で
屏風山鎮國寺を創りました。
私自身は
宗像の土地と縁を頂いているので
初対面の
医療従事者のAさんから
宗像大社に行って
おみくじを引く様に言われた事を
書かせて頂きましたが、
今、
記事を書かせて頂いている事から
考えても、
空海との
ご縁まで
頂いたのかもしれませんね。
空海は
自分の死期をも宣告した人です。
不思議な人ですよね。
死の4ヶ月前の
11月15日に弟子たちを集めて
「吾、入滅せんと擬するは、
今年3月21日寅の刻なり。
もろもろの弟子等、悲泣するなかれ」と
宣告したことが
「御遺告」に出ているのです。
そして
空海自身が
予告していた死期が
6日後に迫った
3月15日に
再び弟子達を集めます。
弟子達に
死期が迫った事を告げて
自分が死んだ後は
「兜率天に往生して
弥勒慈尊の御前に侍るべし」
と遺言します。
そして
宣告した通りに
空海は
承和2年(835年)3月21日、
62歳で
眠りついたのです。
空海というのは
この様に
神秘的な僧侶なので、
今なお、
多くの人を
惹きつけているのです。
今日は
このぐらいにしておきます♫
いつも
応援して頂き
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アーティスト ほとけ作品
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