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夏の続きを話そう


表参道の人混みを、魚みたいにすり抜けて歩いて来た彼女に信号待ちで声をかけた。
「あの、すみません。」
目が合って、慣れた感じで近づく。
この時点で警戒され無視されることもあるが、それは仕方のないことなので予測に怯むことはしない。 
突然声をかけた俺に、かろうじて聴き取れる声で彼女は「はい」と返した。
イメージの湧きやすい顔をしている、というより、自分の思い描くイメージに当てはまる顔をしている。
「美容室の者なんですが、カットモデルをお願いできませんか?」 

晴れた夏の青山通りを、ビルの上で広告が眺めている。
洋服と車が主張しては流れていく。
信号が青に変わっても彼女は渡らずにいてくれた。 

その夜あらためて連絡を取り、日時を決めて当日を待つ間に、彼女のイメージを簡単にスケッチした。
前髪を伸ばしている様子だったが、切った方が似合うんじゃないだろうか。 


「こんばんは」
「こんばんは。来てくれてありがとう」 
当日、約束の時間まで5分残して彼女が閉店後の店に現れた。緑色のふわっとした短めのワンピースに、ごつめのサンダルを合わせている。
さっと上から下まで見て「可愛いね」と伝えると、彼女は困ったような顔で笑って、ほんの少しお辞儀をした。
これは照れ笑いだろうか。 それとも、簡単に「可愛い」を口にする人間など信じられないと思うタイプか。

儀式のように世間話をしながら、シャンプーに取りかかった。
「今日、終わるの遅くなると思うんだけど、電車とか時間大丈夫?」
「大丈夫です。自転車だし近くなので」
「どの辺に住んでるの?」
「笹塚です」
「え! 俺、代々木八幡だよ」
思わず手を止めた。改めて手を動かす。
「近いですね」
「近いね」
「じゃあ自転車通勤ですか?」
「そうだけど、なんで?」
「いいなぁと思って。都道413号が通勤ルートだなんて、ドラマみたいじゃないですか」
「表参道のこと言ってる?」
表参道のことを都道413号って表現する人に初めて出会った気がする。

鏡の前へ移動しても、俺たちはまだ道の話をしていた。
「俺は表参道より、代々木公園沿いの方が好きなんだよね」
彼女の髪や骨格を触りながら、呟くように口に出すと「私もです」と鏡の中の彼女が言った。
そして、
「なぜかちょっと懐かしい気持ちになるんですよね」
と静かな声で付け加える。
「わかる。いろんなこと考えたり思い出したりするもん。なんでだろうね」
髪にはさみを入れながら、
「ていうか、なんで道路に詳しいの?表参道が都道413号なのとか、知らない人も多そうじゃない?」
引っかかっていたことを尋ねてみる。
「私、東京の街並みがすごく好きで、よくふらふら出かけるんですけど、最近は案内標識込みの風景になんか惹かれるんですよね。だからなんとなく」
「人気者の先輩に憧れてずっと見てたのに、気付けばいつも先輩の隣にいる友達のことを目で追ってました、みたいなこと?」
くだらないことをつい口にしてしまった。
「その流れだと私、先輩の友達を好きになりますよね? でも私は標識自体への熱はないので、その例えでいくなら断然先輩の方が好きです」
 

「しみたりしたら言ってね」
カラー剤を髪にのせていく。
「東京でとくに好きな街ってある?」
「あります。下北沢」
下北いいよね、と言いかけたけれど軽いような気がしてやめた。 かわりに 「それはなんで?」 と質問する。
「上京して、最初にバイトしたのが下北だったんですけど、そこで私、東京ではじめて好きな人ができて、失恋して。下北って、雑多な街のそこらじゅうに誰かの青春が大事に残されている気配がして好きだったんですけど、私の青春もあの街にあったっていうか。でもこれだと、結局私が好きだったのは人気者の先輩でもその友達でもなく、そばにいるのが当たり前だと思っていた幼馴染っていう結末になってしまう」
「気が多い主人公の話も面白いと思うよ」
笑いながらそれだけ言うと、彼女も「確かに」と笑顔で頷いた。
夜のちからも手伝って、気付けば素直に話をしている。

最後に写真を撮らせてもらい、彼女を見送るために外へ出たのはもうぎりぎり今日という時間だった。
「遅くなってごめんね」
謝ると、
「全然です。夜の閉店後の美容室っていう独特な空間にいられて、なんか夢みたいな時間でした。この髪型もすごく気に入ってます。ありがとうございました」
丁寧にお礼を言われてしまった。
「髪、すごく似合ってる。今日は来てくれてありがとう。楽しかった。帰り気をつけてね」
どちらからともなく、小さく手を振り合う。 数時間前に会ったときより、近しい笑顔になって別れた。
見上げると紺色の夜空に薄っすらと星が出ている。


「あれ?」
「あ。こんばんは」
アナウンスが流れていた。
「この間は遅くまでありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございました」
ドアが閉まって、山手線が走り出す。
「今日は電車なんだ」
「はい。今日は田町に行ってて。今帰りですか?」
久しぶりに見た彼女がにこやかで、この間と同じ距離で話せそうな予感がする。
「うん。今日休みだったから友達と飯行ってたんだ」
前髪を切ってやっぱり正解だった、と誇らしいような気持ちで見ていると、彼女が「?」という顔を見せた。
「いや、やっぱり前髪切って正解だったよなと思って」
そのまま伝えると、また困ったような顔で笑っている。 褒められるのが苦手なだけなのかもしれない。

原宿駅のホームに降りると、夜風がぶわっと肌にあたった。
何かの祭りの帰りのような人の流れにもまれていても、皮膚は風を涼しいと判断して、もうすぐ夏が終わるとわかった。

千代田線? と聞こうとしたとき、
「疲れてたら無理しないでくださいね、歩いて帰りませんか?」
と誘われたので心臓が軽く跳ねた。
「俺も歩きたい気分だった」
返事をして、並んで改札を出る。
神宮橋を渡りながら、
「下北にいた頃に好きだった人って、どんな人だったの?」
尋ねてみた。
「年とか立場とか関係なく、誰とでも同じように接する人でした。基本明るいけど、なんか寂しそうに見えるときもあって」
「彼のこと、よく見てたんだね」 

誰かを待っているふうな人や、手を叩いて笑い合う人たちの期待が、色彩の多い夜を光らせているみたいだった。
体に馴染んだスニーカーと、まだ見慣れない彼女の表情がこの夜の一部になる。

「仲は良かったんです、ずっと。帰る方向が同じで、よくバイトの帰りが一緒になったりして。でも自分の気持ちに気付いてから、なんかうまく話せなくなってしまって」
「意識すると、空回りしたりするよね」
自分もそんなことがあったな、と短く回想する。
「そうなんですよね。会話も続かなくなってしまって。空気が重いっていうか、そばに行きたいのにどんどん遠去かっていく気がして。あるとき、久しぶりにふたりで帰れたんです。その日、その人は体調が悪そうだったから、『今日調子悪そうだったけど大丈夫?』って聞いたんです。そしたら『なんでわかったの?』って逆に訊かれて。 どうしようかなって迷ったけど、『見てたから』って答えたんです。口に出したらなんか涙も出てしまって。下北の、開かずの踏切の前で泣きながら『あなたのこと、いつも見てるからわかる』って言いました。もっとそばにいきたい、みたいなことも」
「うん」
「そしたら、『なんか、重たい。ごめん』って返されました。ゆっくり、わりと同情的な感じで」
はは、と自嘲気味に笑って、彼女は黙った。
何か言わないと、と考えを巡らせるが、うまい言葉が浮かんでこない。
「俺もあるよ」
としか言えなかった。

 代々木公園に沿って歩く。
 懐かしい気持ちになる、いろんなことを思い出すと言い合ってから、ひと月も経っていないことにはっとした。

「俺は『鬱陶しい』、だったな」
「似てるかも」
よかった、微かに彼女がわらった。
「どんな人でした?」
「古着のTシャツ着て、いつも背中にベース背負ってる子だった。高円寺に住んでた」
原宿口を横目にみながら、普段の自分よりもゆっくり歩いている。
「好きになると、立場が弱くなるっていうかさ。何でもしてあげたくなるっていうか」
彼女が喋らずにいてくれたので、俺は言葉を続ける。
「その子に喜んでもらいたくて、その子の好きそうな服を着たり、家行って、ご飯作って帰りを待ったり」
「意外ですね」
「彼女みたいな彼氏だよね。しかも俺、ノート買って彼女を交換日記に誘ったこともあるんだ」
「え」
「いや、誤解しないで聞いて欲しいんだけど、深い意味はなかったんだ。ただ、彼女バンドやってたし、絵でも詩でもいいからインスピレーションの足しになればと思って……。その結果が『鬱陶しい』になるんだけど」
彼女の顔をしっかり見ると、口が笑いたそうにしている。
「笑っていいよ」
わざと半分目を据わらせて言ってみると、
「大丈夫ですよ」
と返されたので 、
「大丈夫ってなに」
と言うと、彼女はようやく「あはは」と笑った。

その子と半年くらい付き合ったこと。 最終的にバンド仲間の、響かない歌詞を書く男に取られたこと。 別れ話のとき、「交換日記に誘ってくるとか、ある意味忘れられない」と言われたこと。
「それ以来、高円寺に足が向かない」
と俺が打ち明けている間も、彼女は 、
「あはははは、ごめんなさい、あはははは」
謝りながら遠慮なく笑っていた。  

折り重なったようにして届く虫の声と、街灯に照らされた夜の緑。坂の下に、煌めくビルの灯。
「この景色、やっぱり好き」
彼女が呟いたのが聞こえた。
「俺も」
言葉が続かず、そのままふたりで少し黙った。 いったん間ができてしまうと、この夜が特別なものに思えてくる。 

井の頭通りに入ると、
「お別れですね」
と彼女が言った。
「近くまで送るつもりだよ」
当然のように俺が返すと、
「申し訳ないので」
予想通り遠慮されてしまったけど、
「夜遅いし、1人で歩かせるわけにいかないよ」
こっちも引かない姿勢をみせると 、
「ありがとうございます。嬉しい」
素直に甘えてくれたので安心した。 

広い車道を車が気持ち良さそうに行き交う。
都道413号を、テールランプの赤がなぞっていく。
「波の上を滑っていくみたいに見えませんか?」
横で彼女がぽつりと言った。
「気持ち良さそうだよね」
目が合うと、お互いに笑顔だった。
「この間、髪を切ってもらった帰り」
「うん」
「表参道から東北沢まで自転車で走りながら、だんだん、波の上を走っているみたいな気分になってきたんですよね」
「上りと下りの繰り返しだもんね」 

井の頭通りも坂が長い。
「もし今ここで音楽が流れるとしたら、どんな曲が似合うかなぁ?」
話したくて、思いついたことを口に出した。
視界の先を小田急線が渡っていく。
「今が、何かのワンシーンだったら?」
「そうそう」
「わー、ちょっと待ってくださいね。真剣に考えます」
話したくて話題にしたのに、再び沈黙になってしまった。 彼女はどんな曲を選ぶだろう。 俺はどの曲を選ぼう。

東京ジャーミイの前に来たとき、
「決まりました」
楽しそうに彼女が言った。
「俺も決まってるよ」
伝えると 、
「じゃあ、お互いの曲を聴かせましょう」
と、はしゃいだ様子で手招きする。
ふたりで歩道の手すりにもたれて、イヤホンを片方ずつ分け合う。
「高校生みたい」
近い距離で彼女が微笑んだ。


夜に浮かぶ東京ジャーミイに見守られて、ふたりで音楽を聴いたあの夜。
彼女と別れて、来た道を戻りながら、きっとまたこんな夜がすぐにやってくるような気がした。
だけど偶然は何度も起こるほど甘くなくて、彼女とは会っていない。
連絡してみようか。
"元気にしてる? もしよかったら近々ご飯でも行かない?"で変じゃないだろうか。
鬱陶しいと思われないだろうか。 思われないか。
勢いで送信してしまおう。
返信が来ますように。

夏が通り過ぎようとしている。       











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