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名付けて衣類手記第15話【権利の在り処と仕方ないこと】

今日の絵は僕が描いた初音ミクちゃんです。
他に言う事はないのでさっさと本編入りましょう。


僕は感情を決めつけらがちだった。
比較的穏やかに過ごしていようが、何も考えていなかろうが、突然親から「何怒ってるの?!」と責められることが多かった。
怒っていないのにそんな風に決めつけられることは、びっくりするわショックだわ、決めつけられた事で本当に怒りが湧いて出るわで、「何怒ってるの!?」の決めつけは誰も幸せにならない惨状しか生まなかった。
 

だがそんな若かりし日の衣類君も年を取って精神は摩耗していく。
その分、少なからず経験値が貯まって来た。
 
そうして分かったのは「人からどう思われているか」について
自分の現状や真実は関係ないということ。
だってそれは僕を見た相手の感想から成るのだから
例えどんなに理不尽な決めつけだろうと、事実と違っていようとも

「どう見えたか決める権利」自体は、

僕ではなく相手にあるものだろう!

 
「何怒ってるの?!」について、僕は長らく「よくそんな酷い決めつけができるな!」と思っていたが
相手が怒っていると認識した以上、それは僕がどんなにお気持ちを表明しようが”仕方ないこと”でしかないのだ。
相手から見えた僕が「そう」だったのだから。

…。 

今ならわかる。
「そう見られたくない」とか「そんなつもりじゃない」とか無駄な事言ってふて腐るくらいなら
そう見られていた原因となった言動や事象を改め行動を見直すか
最初から人にどう思われても気にならない程度のメンタルを鍛えるかしていた方が
ずっと生産的で有意義なことだったんじゃないか?と。
 
…かつての僕があまりにわめくから、親も「何怒ってるの?!」は控えるようになってくれたが
今は

“相手が自分をどう見るかは相手の自由で権利である"


ということは念頭に置くようにしている。
 
あと、世の中「仕方ないこと」がスゲー多い。
不本意な決めつけ方されても、案外それも仕方ないことだったりする。
 
こうやって、いい意味で物事に諦めを付けることが
世間で言う「落としどころをつける」という行為なのではないだろうか。
  
今回、僕の経験値はそう言っている。

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