見出し画像

名付けて衣類手記第5話【好きなだけでいいじゃない】

どうも衣類です。
今日の絵は白黒で描いた夏の海です(カラーイラスト在庫切れ)
こんな感じで思ったままにざっざか描くのがとても楽しいです。
いろんな本やゲームの内容でも「このシーンはこんな感じの風景だろうか?」と想像して描くと面白い遊びになりますよ。


さて。
よく「発達障害者には才能も備わっている!」とか
「凸凹の凸の部分を伸ばせば開花する!」的な事を耳にします。
が、そんな認識されたら僕の中の無能がむせび泣くのでやめて欲しい。
そんなものは人によるだけで、才能と呼ぶに至らない障害者だってわんさかいるのが真実だ。

得意分野を伸ばすこと自体は勿論素敵な方法だと思うけど、才能とはどれだけその物に対し力を注げたかの結果であって、障害に対して降って湧くものじゃないと僕は考える。

僕は考えを文章に起こす事には特に抵抗がない。
何か書き出す必要があればとりあえずキーボードを叩いてみる。
それは幼い頃から物語を考えるのが大好きで、とりあえず自由帳に書いてみることを繰り返していたからついた力だ。
いきなりできた訳ではない。

例えばお絵描きが好きな友達がいたとして
「じゃあイラストレーターになるんだね!」とはならんじゃろう。

僕は文章をとりあえず考えられて、君は絵が人よりちょっと描ける。
だけどこの力は決して他より突出したものではないのだ。
結果が出せているのはそこに努力を続けられた人だけであって
障害の!有無は!関係!無ァい!……と主張したいのだ。

このような認識が一般的になってしまうと「うちの子にも何か突出した才能があるはずだ!」と期待してしまう親御さんも出てしまうだろう。
そしてそうじゃない場合に、失望や絶望を感じてしまうだろう。

障害の当事者たちにも「好きなことを才能にできなかった絶望とプレッシャー」を感じさせるのはいけないし
才能まで昇華できた人の継続した努力を、障害を理由に蔑ろにしてもいけないと思う。

という訳で僕は発達障害者として
「発達障害者に才能がある」という考えが、解せないのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?