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病院は生きる力に溢れていた

昨年の今頃、私は気胸の手術を受けた。

急な発症で、初めは自力でクリニックを受診したのだけれど、
「息が苦しいんです」と診療終了ぎりぎりに現れた私を見て、
急患かもしれないから、と問診もせずレントゲンをとってくれた。

右肺に穴が空き、完全に潰れた状態だった。

そのまま大病院へと運ばれ、1週間後に手術をし、合計で2週間入院をした。

初日は救急病棟。
一晩中、ナースコールが鳴り止まず、看護師さんたちが文字通り駆けずり回っていた。
同室はおばあさまが3人。
一人は、痛い、苦しいと何度かナースコール。
もう一人は、ナースコールのボタンがないと騒ぎ、
もう一人は、時たま看護師さんの方から様子を見に来て、何か処置をしていた。
そして私は文字通り、一睡もできなかった。

そわそわざわざわした雰囲気の中、私自身も当然体調が悪いので(入院時にドレーンチューブを入れる処置をしていたため、右のあたりがとっても痛く、さらに何のショックか高熱を出していた)、
一度だけナースコールをしてしまった。
手足が痺れて気持ち悪いです、と言ったら、いくつか質問されて、「もう少し様子見てください」と言われた。
私は、なんとかしてよーと思いつつも、きっと大したことない症状なんだろうな、と悟った。
ずっと、手の痺れで眠れなかったけど、ナースコールは一度でやめた。

翌朝、明るくなってくると、どうしてか気持ちも上向いてきた。
看護師さんが病室のカーテンを開けて少し陽が入ってくると、安心した。
眠れましたか?と聞かれて、思わふ眠れませんでしたと答えたら、
そうだよね、うるさかったよね、ごめんね、と言ってくれた。

午前中の検査が終わった11時ごろ、ようやく眠気が襲ってきて、ぐっすりと眠った。
30分ほどだったけど、体も心も頭も、スッキリした。

翌日から、呼吸器外科の病棟へ移った。
そちらでは、個室を用意してもらっていたのでかなり快適に過ごした。
ナースコールの音は聞こえたけど、内容まではわからない。
トイレやシャワーに行く時、私と同じようにチューブに繋がれて一生懸命歩く人とたくさんすれ違った。
お年が上の方は、さらに車椅子だったりする。
看護師さんを呼んで、移動したり、トイレを済ませたり、歯磨きをしたり。

2週間、この光景を見てか 感じたことが、
「病院は生きる力に溢れている」
ということだった。

恥ずかしながら、失礼ながら、この時まで私は、病院とは体の弱った人がいる場所で、生きる力が弱った人のいる場所だと思い込んでいた。
病気だったおじいちゃんやおばあちゃんの姿、元気がなくなっていく姿、そして、病院で生涯を閉じていく姿の印象が、強すぎたのかもしれない。

けれど私が見た病院の中は、
生きるために人に頼る、よりよく過ごすために人を呼ぶ、そこに力強さがあった。
自分ではできないから助けてもらうという事実はあるけど、
痛いのをどうにかしたい、苦しいのをどうにかしたい、点滴が終わったから替えて欲しい、トイレに行きたい、ご飯を食べたい、歯を磨きたい、風呂に入りたい。

自分のことをどうでもいいなんて、これっぽっちも思ってない人たちの集まりだ。
欲求を、きちんと外に出せるのだから。

そしてそういう私も、入院した時は自分の病気を治すため、治るため、元気になるために必死だった。
頻繁ではなくとも、必要だと思ったらナースコールしたし、気になる症状があれば回診の時に質問したし、よく食べよく動き(これは限界があったけど)よく寝た。

病院は、体が弱った人がいる場所ではあるけれど、健康に戻って、社会生活をもう一度送るために一時的にいる場所だ。
生きるため、元気になるための場所であり、その内なるパワーに満たされたすごい場所だった。

時々、今も思い出す。
同じ部屋だったあの人。お世話になった看護師さんや医師、スタッフの方。
他人のおかげで一命を取り留めた経験があるからこそ、なんとなくで生きることはできなくなった。

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