2014年→2024年

2013年の11月30日に、ボーナスもらって仕事をやめた。1個目の予備校に入った。生物初学で、個別指導を受けて2ヶ月で仕上げるって、お金払った。

受験したらお金がなくなった。貯金も、ボーナスも貯めてたお金もたくさん使った。予備校と受験料で。  

センター試験も受けた。英語以外チャレンジって感じだった。多浪部屋みたいなところに入れられて、予備校の先生なのか、ずっと解いて白紙でだしていている人がいた。おじいちゃん、おばさんもいた。私なんか若いグループに入るような、濃い人たちの部屋だった。あの人たちは今医者になったのだろうか。

久々の大学受験は大量の人がいて、みんな若すぎて、この中で正規合格に入らないといけないのきつ、と思った。 
受験の道で大量のアルフォート貰って、『私も受験生にみえるのか』と少し嬉しかった。
面接で『高校のとき、欠席日数が多かったけど、どうしましたか』と聞かれて、そんな10年前のこと覚えてなくてスーツの私はすごい動揺した。

2014年2月に河合塾の入塾試験に落ちた。河合塾に受かるためにもう1年勉強しないといけないのか、とびっくりした。
落ちた理由は今ならわかる、数学が0だったから。

それで、河合塾よりも小規模だけど、医学部に特化した予備校に入った。なにの勉強をしてたかは忘れた。

2月から自習室で勉強してたけど、突然不安になって3月30日くらいに予備校の事務員捕まえて『私やっぱ就職した方がいいですかね?自信なくなってきた』と弱音をはいた。
事務員はいや、1年やってみたらいいじゃん!と超軽く言って、まあいいか、と続けることにした。

たまにハローワークにいって、失業手当をもらった。就労支援を勧められて、医療事務の方が食べられるんじゃないかって、本気で迷った。
親には予備校の事務に就職させてもらったら、と言われた。でも親は予備校の学費、家賃、少ない生活費をだしてくれた。いまも感謝している。

2014年9月に受けた試験に受かって、10月から医学部生になった。
河合塾落ちた年に、医学部生になった。

そこからずっと勉強して、2020年2月に国試受けて3月に合格して、4月から初期研修医として働いた。
2022年3月に研修医が終わり、専攻医になった。

今これを書いているのは2024年1月5日、今年は2日働いた。明日からの3連休もオンコールだ。

能登半島の地震は心配だけど大量のDMATが入ってると聞いて、DMATを尊敬する。

最近、久々に医学部再受験時代のことを人に話したから、つらつらと書いてみた。
10年で人生が随分変わった。今の生活を私はだいぶ気に入っているし、医師は本当にいい仕事だと思うから、ここに書いておくことにするね!

#医学部 #医学部再受験 #医学部編入  

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