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SW/AC通信vol.19 「朝の談話室 ことば で 調える」初回レポートです。

福祉、地域、教育などのさまざまな分野とアートをつなぐ相談事業、Social Work / Art Conference(SW/AC)がニュース形式で情報をお伝えするSW/AC通信です。今回は新たな試み「朝の談話室」のレポートを掲載します。

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「朝の談話室 ことば で 調える」

SW/ACでは、日々の相談対応に加えて立場や活動領域をまたぐ対話の場として「談話室」という企画をしてきました。福祉施設で創作活動をする方に集まってもらったり、はたまたテーマを決めるところから集まった人たちと話したり・・春からHAPS HOUSEがより居心地よいスペースにリニューアルをしたのをきっかけに、今年度は朝の時間帯に談話室を行うことにしました。

朝の談話室では、テーマを「ことば で 調える」としました。誰かの発信することばを日々受け取りつつ、自分の意思を伝えるのにことばを必要とする私たち。日常の流れのなかではそこで立ち止まって交わし合うことばを振り返ることはなかなか難しいものです。パラレルワールドのように存在し、現実に影響力を持つSNSの世界ではならさらことばの応酬とでも言えるような状況を目にすることも・・。
談話室では、週末の朝という少し気を緩めて過ごせる時間に集まった人たちとことばでもってその使い方を振り返りつつ、誰かに向けることばを調える時間を作ることを試みます。簡単なテキストを読んだり、ロールプレイをしたり体のストレッチのようにことばを調えようと思っています。

開催は毎月第3土曜10:00−12:00、HAPS HOUSE(京都市東九条)です。

仕事や活動では理性的な合意形成を求められ、その一方で一意見と一蹴され成り立たない対話を経験し、ひと息ついてSNSをひらけば発信される様々なことばを受け取り共感することが求められる・・・こうした場で私たちは急かされ緊張しつつことばを用いることを強いられているとも言えそうです。
朝の談話室では、1日の始まりにゆったりと私たちのことばの使い方を確認しながら、誰かに向けて発することばについて考える時間をつくります。
ことば で 調えるとき、イメージするのは、このようなことばです。

調子 動いたり働いたりする具合、態度や口調にあらわれる気持ちや身体の具合
調整 手を加えてととのえる
調合 混ぜて一定の香りや効用をつくり出す

朝の談話室 ことば で 調えるご案内

朱喜哲「フェアネスを乗りこなす」読書会「会話をとめるとはどういうことか」を読む

初回の談話室では朱喜哲(ちゅひちょる)さんの著書「〈公正フェアネス〉を乗りこなす」(太郎次郎社エディタス, 2023)から第5章の「会話をとめるとはどういうことか」を読むことから話始めることに。

そもそもSW/ACの小泉がこの本を手に取ったのは、SW/ACの相談対応を理念的に支えるソーシャルワークが依拠する「公平さ」や「社会正義」を重要な課題と感じつつも、なぜそれが必要であり重要なのか説明をためらう時があったから。
例えば共生とアートに関わる相談を受け付けている、ソーシャルワークを参照して多様な分野や人々を結ぶ対応をしていると言うことが「正しさ」を盾に相手からの批判を受け付けないような印象を持たせるのではないか・・なんてことがふと頭をよぎることがあります。

著者の朱喜哲さんは、正義とは何かを解説するのではなく、そのことばをめぐって私たちはどのような使い方をしているかを書いています。
例えばロールズといった哲学者の使い方、米国選挙戦など政治の場での使い方、日本の道徳の教科書での使い方などを分析して、正しいことばを「乗りこなす」、使いたいことばにしていく手引きを示してくれるのが本書です。
著者による手引きをもっと解説したいところですが、今回は第5章の「会話をとめるとはどういうことか」を取り上げて、朝の談話室のテーマとも重なることばのやりとりを捉え直すフックにしたいと考えました。

本章で取り上げられるのは、哲学者リチャード・ローティの「会話の根本的ルールは、それを打ち切らないことである」 という観点。ローティのいう「会話」は、自己と他者、ときには自分自身の中でのことばのやりとりが連綿と続く営みを意味し、合意形成をする議論や理性的なコミュニケーションといった限定を設けずに会話を続けることそのものの探求を重視する考え方です。

そのような会話観の中で会話が止まる事態は「避けるべき事故」とも言えます。例えば「ひとを黙らせる」ことばの切り返し方や「それをいっちゃおしまいよ」と思わせるような話法が増えるほど、会話は止まり、私たちのことばの豊かさやことばを育むやりとりが阻まれているのではないかと朱さんは指摘します。

テキストを読んだ参加者からは、会話の豊かさという尺度が面白いといった意見や、会話が止まることが事故だという認識を広く共有できるのかといった疑問が出されました。

持ち寄ったお茶を飲む休憩タイムはざっくばらんにことばを交わす雰囲気に

休憩を挟んで談話室の後半は、身の回りで起こることばの使い方で疑問に思った例を共有してみることに。

学内の共同制作のための話し合いで、参加者一人が延々と話をして、終わったら次の人が自分のアイディアを話す、という形で応答のない話を貯めた後で一つの案が決まったという例。チームでアイディアを発展させていくような指向がないとも言えるし、何か共通点を見いだしたから案がまとまったようにも聞こえます。このような話し方の場合、会話は打ち切られてはいないと言えるのかどうか。

ほかには、何かの企画を決める話し合いで参加した人全員のアイディアを少しずつ漏れなく盛り込むことで企画自体が中途半端になってしまったように感じたという例も。本著で取り上げられるような事故を防ぎ、誰かを疎外しないという意識は皆にあるものの、それによって会話が豊かになっているかどうかは議論ができそうな例でした。

その後は著書で扱われている範囲を超えて、子どもとのやりとりに疲れたときに外出したときスーパーでのコミュニケーションに救われた例や、障害のある人との単純なやりとりに会話の豊かさを最も感じたという例、自然・動物との会話が可能な例などを話すことができました。

談話室の結びには、事故という形で紹介された会話を止める話し方をマイノリティが当事者性を発信するために武器として使わざるを得ない状況があることなども紹介しました。

様々なアイデンティティや経験、立場の重なりを生きている私たちは、同様に多様な軸を持つ他者と交差する点(交差点)で出会うという観点(インターセクショナリティ)を可視化するような装丁も本著への入り口になっています。

参加者全員の一致する結論を出すことはしませんでしたが、会話という観点からは豊かな場になったと思える時間を過ごすことができました。

朝の談話室は猛暑の8月はお休みして、9月からまた再開です!

次回は9月21日(土)10:00~「対話篇プラトンになる」
古代ギリシャの哲学者質問するソクラテスとそれに答える若者、2人の会話を記録するプラトンになるワークを通じて「対話」を振り返ります。

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