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2024/1/21 金継ぎを始める

思い返すと子供の頃から“不注意”だったと思う。
このnoteの執筆名「早川リリー」は私が小学生の頃不注意でリードを外して散歩をしていて、自分の目の前で道路に飛び出して車に撥ねられて死んでしまった犬の名前からとった。
あの時のリリーの最後の「キャン」という最後の鳴き声を今でも鮮明に覚えている。跳ねられた衝撃で頭部から血を流しながらも最後に私と目を合わせて死んでいった。その日はショックで半日泣いて過ごしたことも・・・。

その後も不注意は続いて、初めてアルバイトをしたホームセンターで何度も店長から言われていたことは「確認をしましょう」だった。これは社会に出ても必ず役に立つから覚えておいてと、今から思うと私にとってその後の人生において最も必要なアドバイスだった。
それはどんな仕事でもついてまわっていた。

私は、一番大事にしているものを抜かりなく壊してしまうクラッシャーの自覚がある。人も、物も。
17歳ごろから精神科に通院し始めて、自閉症スペクトラムの診断を受けたのは35歳の頃だったけど、それまで自分がなんでこんなに不注意なのか、1日の中で意識がところどころ混濁するような、記憶が飛んでいる感じになるのか、時間感覚がおかしくなって今ではないどこかに心が彷徨って自分の意識力や感情ををコントロールできないのかわからなかった。なんで普通の人と同じように生活していると、頭の芯まで消耗して疲れてしまうのかも・・・。
摂食障害の過食嘔吐の症状が、そうさせるのかと思ってみたり、五黄土星は破壊星だからなのかと思ってみたりもしたけれども、そんなことは気休めにしかならなかった。

自分のコンディションによっては確認を確認できないことも分かってきたら、
準備と段取りに用意周到になった。それもかなり強迫めいた。
例えば仕事なら、人より30分は早く現場に入って現場に身を慣らす準備から始まって、現場がどんな状態なのかいち早く確認して、自分が少しでも困らないように、パニックにならないように、自分なりの作戦をいくつか準備しておいたり、一つのことを二重に確認をするような仕掛けをを日常動作の中に組みこんでルーティンのなぞるように機械的に生きてみた時期もあった。

そういう工夫は、自分がクライシスする恐怖や不安を和らげるためでもあったけれども、いつ何時も常に緊張しているようで、いつも何かに追い立てられて、責められているような、うまく息ができない焦燥感を伴っていた。
自分が自分の首を閉めている感じだったけど、もう崩壊していくのが嫌だから、怖いから鉄の掟を自分に課していたけれども、結局は破綻してしまった。

金継ぎを初めてやってみて、付属してきたマニュアル通りに手を動かしていたら、そんな自分の過去のことや、べき思考や恐れが少し和らいだ。
壊れても、再生できる方法を身につけることは、クライシスの恐怖から私を少しだけ解放してくれるように感じた。
もう、度重なる破綻や失敗を繰り返すうちに、自己肯定感は剥ぎ取られていくような、そんな自分をどこまでも恨んむ必要はないかもしれないと。

初めて入院した時、病棟の中でいつもの心理士さんとは違う心理士さんと話す機会があり、その時に言われたのが「今まで極度の緊張と集中でやってきたでしょ?でもそうやって神経を張り詰めていたら、糸が切れやすくなるし、鬱にもなりやすいからね。あなたは今入院しているんだから、休むということがどういうことか体感してほしい」ということ。

そう、私は本当に休むのが苦手だった。
休んだら、全てがクライシスしてしまうんじゃないかと怖かった。
それは今でもあまり変わりはないので、うまく休めるようになりたいと思っている。

私が始めた簡易金継ぎは、作業自体はそれほど難しくない。でも一つの作業を終えてから乾かすのに時間と日数を要す。
焦ることができない仕事。
待つ時間が大切な仕事だなぁと感じた。
治療のことは横において新しいことをやってみるのは良いことだとも…。

私の精神も壊れてしまってあとの入院から仕事も辞めてもうすぐ2年になる。
ことあるごとに焦っては支援者から、「ゆっくりいきましょう」ともう何100回聞いたことか。
焦らず、待つこと。休むこと。
仕上がった器を見ていたら、焦らずにもう少しゆっくり回復を待っていて大丈夫と思えた気がした。時がくればちゃんと何か始まってくる。
自分の手で修繕できた器を使いながら、そう信じたくなった。


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