心のリハビリを考える
自己紹介
私はソーシャルワーカーの大橋と申します。
統合失調症を患った当事者でありますが、自分を障害者だとは思っていません。
なぜなら、障害者と健常者の境界線を引きたくないと思うからです。統合失調症は回復する病気です。もし、境界線があるとすれば、ある瞬間、障害者から健常者に突然変身するのでしょうか?統合失調症は時間をかけてゆっくりと回復していく病気だと思います。
さて、私のことを書きます。
私は十六歳、高校二年生の秋に発病しました。しかし、当時は自分が病気に罹っているとは考えず、普通の受験生を演じていました。大学に進学してひとり暮らしを始めました。大学ではすぐに友達はできず、バイトをする勇気もなく、本ばかり読んでいました。哲学科に所属していたので、哲学や文学の本ばかりを読んでいました。
大学三年生の夏休み、私は将来の不安から自分は病気であると判断し、実家に帰りました。自分の病気を隠して健康のふりをして生きるか、闘病するかの選択で、私は闘病することを選びました。
この決意には哲学があって、「自力」という言葉と「他力」という言葉を意識しました。この時までの私はすべて自力でなんとかしようと考えてきましたが、もう自分の力だけでは病気と闘えないと判断し、他力、つまり精神科に掛かり、現代の医学にすがることにしました。
初診を受けて処方された薬を飲んだ時、「これから何十年もかけて闘病するんだ」と覚悟しました。私は他力と自力の両方を使って回復していこうと考えました。他力とはつまり医師の処方する薬であったり、デイケアなどの社会資源、あるいは家族など周りの人間、生活環境などのことです。そして、自力とは、処方された薬を指示されたとおりに飲み続けることや、デイケアに通い続ける、生活のリズムを規則正しくするということなどです。
私は一年間大学を休学し、四年次から復学して、一年後に卒業しました。卒業後は一年間デイケアに通う毎日でした。そして、ある程度精神が安定したので、パートの仕事を探しました。「単純肉体労働」ならばできるだろう、そう考えて職を探しました。実際、職を見つけて働き始めました。病気のことは伏せていたので親方から「どんくさいやつ」と言われながら、厳しく仕事を教えられました。
この、大学に通うとか、パートで働くとか、あるいは生活そのものは、医師がやってくれるものではありません。他力ではなく自力です。この自力の部分を考えることが、「心のリハビリを考える」ということだと考えています。
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