「小説家」という呼称について
私は小説家になりたい。
と言っても、純文学みたいなやつではなく、物語を書く作家になりたい。
つまり、「物語作家」になりたい。
しかし、物語作家という呼称はあまり一般的ではない。
「ご職業は?」
「物語作家です」
「ああ、小説家ですか」
となるのが落ちだ。
小説家とはそれほど幅広く人口に膾炙している。
他に「作家」という呼称がある。しかし、これは小説家よりも広い。しかし、「作家」も人口に膾炙しているが、人々は結局はその「作家」に小説をイメージする。事実、小説以外を専門とする文章家が一作でも小説を発表すると、その人の肩書きに「作家」という呼称が加わる。
やっぱり作家とは小説家が核になっていると思う。
小説を書くけれども、その他の評論などの文章も書くという小説家よりも広い範囲を作家という呼称はカバーしている。
逆に小説しか書かない小説家は作家と呼ばれないかもれない。
昔の文豪とかで、例えば芥川龍之介や太宰治などを作家と呼ぶことは小説家と呼ぶことより少ないのではないか?彼らは小説家である。もう少し強調すると、小説家らしい小説家である。彼らが小説以外で世間にものを言っても、「小説家が何か言っている」となるだろう。
北野武は、漫才師として世間にデビューした。それから、マルチタレントと呼ばれるようになり、今では映画監督の巨匠である。しかし、彼は映画監督なのか?それとも漫才師なのか?あるいはコメディアンと呼ぶべきだろうか?平野啓一郎の分人主義を使えば、どの分人も本当の北野武だと言えるかもしれない。しかし、今回私がテーマにしているのはそういうことではない。
私が本当に小説家になりたいのか?ということだ。
もし、芥川龍之介や太宰治みたいになりたいのならば、小説家になりたいと言えばいいだろう。しかし、私は小説を書くと言うより物語を書きたいのである。となると、小説と物語の違いは何かということに問題は発展してくる。しかし、文学史を知らない私はこんな大問題を考える素養がない。たしか、近代文学は『ドン・キホーテ』から始まったと聞いたことがあるが、『ドン・キホーテ』を読む限り、あれは物語である。面白い物語である。メチャメチャ売れて現代で言うと『ハリー・ポッター』みたいに売れたと言えばイメージが湧くかもしれない。
話は脱線するが、『ドン・キホーテ』には前編と後編があり、前編でドン・キホーテの冒険旅行は一旦落ち着くのだが、後編になってまた旅に出る。そうすると、『ドン・キホーテ』前編を読んだという読者が作品内に出てきてドン・キホーテを当惑させる。これは当時の人々にとって大興奮する面白さでなかっただろうか。『ハリー・ポッター』の続編に『ハリー・ポッター』を読んだことのある子供が出てきてハリー・ポッターに感想を言ったりする、そういうことだろう。
脱線から話を元に戻そう。
『ドン・キホーテ』は近代文学の始まりに位置しているらしいが、あれは物語のカタチを崩すことがなかった。それが次第にテーマ性ばかりが重んじられて、小説という分野が生まれたのではないかと思う。「小説」という日本語を分解してみれば「小さな説」だ。別に物語である必要はないように思われる。小説は小さな説を述べているだけの文学なのかもしれない。
ところで、芸術家の呼称だが、日本の音楽の世界でというか、ポップミュージックの世界で、歌手とか、アイドルとか、シンガーソングライターとか、ロックバンドとかを「アーティスト」と大きく括ることが慣習になっている。無学な人ほど、「アーティスト」というと、ポップミュージックをやるアイドルなどを想像するだろう。「アーティスト」と言えば直訳すれば「芸術家」のことである。これがことのほか音楽で使われる言葉になった背景には、マイケル・ジャクソンなどが、歌だけではなく、ダンスで、つまりショーとしてパフォーマンスするようになったため、ミュージシャンではその全体像を捉えきれなくなったのだろう。しかし、日本では普通に歌手なのに「アーティスト」と呼ばれることが解せない。世界的にアーティストと言うと「美術家」を指すと思う。美術のほうこそ、画家とか彫刻家などと従来の呼称では括れなくなってきている。
このように考えると、小説家になりたいと言っている私は狭い範囲で迷っているように思われる。物語作家ではみんなピンとこないから、小説家になりたいと私は言うのだが、要は物語を文章で表現したいだけなのだ。私は一応「冒険ファンタジー」を書いていると言っているが、そのようにジャンルにこだわる必要もないかもしれない。
いや、私はこのようにブログというのか知らんが、雑文をほぼ毎日投稿している。これはこれで私の中で小説ではない文章表現のジャンルになっている。
そうなると私はアマチュア作家とでも呼ぶのがちょうど良いかもしれない。
しかし、軸は物語にある。
そうだ、いいことを思いついた。私は小説家という概念をぶっ壊して、新しい肩書きを作ればいいのだ。物語作家なのか?それでは作家の中の一部みたいでかっこ悪い。いや、まて、私がペンネームに冠しているSWはストーリーライターの略として使っている。物語作家の英訳はストーリーライターなのだろうか?私はシンガーソングライターが定着したように、世間にストーリーライターという呼称を定着させればいいのだろうか?しかし、ライターという呼称も定着している。ライターと名乗る人はゴミのように多い。いったい彼ら彼女らが何を書いているのか想像は出来ない。彼ら彼女らは作家ではなくライターを名乗る。物語ではないのだろうか?単にライターというと、ストーリーのほうが弱くなる。
結局私の中で、どんな肩書きを得たいかはよくわからない。
ただ今は、「小説家を目指している者です」と名乗ることが一番わかりやすい。
いちいち、自分の書いているのは小説ではなく物語です、などと弁解するのもめんどくさい。
結局この記事は振り出しに戻ってしまった。
まあ、答えを出すこと自体より書くこと考えることが大事だと思えばこの文章を書いたことも無駄にはならないだろう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?