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私の将来の夢は世界の歴史に名を残すこと

私の将来の夢は、十三歳の頃から一貫して歴史に名を残すことだった。
最初はプロ野球選手として世界一になろうと思っていたが、十四歳からマンガ家志望に転向した。プロ野球よりもマンガの良い所は、作品をそのまま歴史上に残せることである。
複製作品は、百年後千年後も残っていれば、その時代の読者が現代の読者と同じように私の作った物に触れることができる。
私がマンガ家を志望するきっかけは十四歳の夏に手塚治虫の『火の鳥』を読んだことだ。手塚治虫みたいになりたいと思った。そして、すぐに手塚の限界を感じるようになり、十五歳の冬には宮﨑駿みたいになりたいと思うようになった。それ以来四十五歳の現在までずーーーーっと宮﨑駿を意識している。
と言っても二十代の前半で、私は絵の才能がないということに気づき小説家志望に転向した。
私は常に世界の歴史に名前と作品を残すことを考えて生きている。
そんな私が理解できないのは、「将来の夢がない」という人だ。
そんな人は生きていて楽しいだろうか?
いや、楽しいとしたら、逆に私はそのような人生を羨ましく思う。
私のは野心だ。あまり良い物ではない。
ただ、「世界史に名を残したい」と思っていた者が、「それ以上に大切なものを見つけた」と言って、歴史に名を残すことを諦めたならば、それは尊敬に値する。
しかし、そもそも自己評価が低く、自分は平凡な人間だから歴史に名を残すなど無理、と最初から、野心を持たない人の無欲はそんなに尊敬できない。
私は世界史に名を残すためにはどうしたらよいか、という視点で人生を考えてきた。マンガ家を目指していた大学時代、哲学科に所属した私は、とにかく、文学や哲学の本を読もう、一流の本を読もう、と考え、たくさん読んだ。そうすることで歴史の中で自分を考えるようになった。正確には文学史上と言ったらいいだろうか。
私は政治家になって権力を手に入れようという野心は覚えたことが一度もない。自分の考えた政策を実現したいという野心はわかるが、私にはそのような政策はない。首相になりたいと思ったことも一度もなく、ただ「一国のトップに立つのか、いいなぁ」などと、その名声の面だけを羨ましく思ったことはあるかも知れない。しかし、マンガ家や小説家の方が、首相より百年千年先まで自分の生み出した作品を残すことができる。だから、権力を手に入れるより、不朽の名作を作ることの方に私は関心がある。
人間の名声で最も輝かしいのはキリストのような宗教家になることだろう。
しかし、私はどう考えてもキリストには及ばないと思うし、新興宗教を開いたとしても、その信者からは尊敬されるが、それ以外からは尊敬されないだろう。いや、最初はキリストもそうだった、と言えばそうだが、現代の世の中を考えて新興宗教を開くよりは世俗で芸術家になった方が歴史には残ると思う。ジョン・レノンとか宮﨑駿とかスピルバーグとか村上春樹とかが私の憧れる存在である。
ただ、もう私は四十五歳である。小説家を相変わらず目指しているが、もう誰かに憧れるのは卒業という頃だ。私は自分にしか書けない小説を書きたい。その上で歴史に名前と作品を残したい。
私の「世界の歴史に名を残したい」という思いについて書いてきたが、読者の方はこの文章を読んでどう思っただろうか?

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