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教師というのは保守的な職種、だから、その教える思想も保守?

私の高校時代の友人で、高校卒業後はアニメの専門学校に進んだ者がいる。彼は周囲が大学受験の勉強をするなか、まったく受験勉強などせず、授業も卒業できる最低限度の出席日数に抑えていた。その彼と私が大学二年生の春に、学内の食堂でばったり出くわした。
「おお、あれ?なんで、おまえ、ここにいんの?アニメは?」
「いや、一年やって、挫折した。アニメは趣味で続けて、教職を取ろうと思って、この大学に入った」
私は一年浪人しているから、彼は二浪ということになる。一年間アニメの専門学校に通い、夢諦め、教職を取るため、私と同じ大学に入ったということだ。ちなみに私はその当時マンガ家を目指していた。
彼を責めるわけではないが教職というのは保守的なイメージが強い。芸能人とかでもじつは教員免許を持っています、という人も多くいる。教職はある程度勉強が出来る人にとっては、セーフティネットなのだ、というのが私の教職に対するイメージだ。
夢を諦めた教師が生徒に「夢を諦めるな」と教えることはできるだろうか?
保守保身に走った人間の教えることなど、みんな保守だ。
ブラック校則が最たるものだ。
まだ、高校の野球部などで全員坊主にしているチームを見かけるが、あれはほとんど右翼だ。
右翼というのは超保守のことで、私の大学にもそれっぽい連中がいて、まあ、応援団のことだが、彼らはみんな着なくてもいい学生服を着ていた。どういう世界観だったのだろう?
現在の高校や中学でも制服はあるのだが、なぜあるのだろう?
この問いを保守の教師たちにすると面白いぞ。とんでもない回答が返ってくるから。
私が中学時代の教師に質問したら、「学校は学問をする場だ、学問するにはそれに相応しい服装がある」と返って来た。「相応しい服装」だと、ぷ。それなら、アメリカとか全然ダメだろう、ジーパンで学校に来るのだから。学問に相応しい服装で学んだ日本人と、ジーパンとか私服で学んだアメリカ人とではどちらのほうがノーベル賞受賞者が多いのでしょうね?
日本の教育改革として、私はまず「制服廃止」を訴えたい。
これを中学の校長経験のある私の母に私を産ませた男に言ったら、「それは無理だね」と持論を述べた。「だって、子供たちが制服を着たいと言うんだもの」。「それに校長が独断で決めるわけにはいかない、保護者の意見を聞くと必ず反対意見が出る」などと言う。これが保守の言葉だ。保守は何も変えることができない。学校がなかなか変わらないのはこういった保守の権化みたいな奴らが教職員としてのさばっているからだと思う。これを政府が、「制服廃止」とトップダウンで決定してしまえば保守の彼らはすぐに「転向」するだろう。なんせ、保守保身のために教師になったような奴らが多いからね。寄らば大樹の陰、長い物には巻かれろ。ああイヤだ。

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